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作品名:神威岬 作者:じゅんしろう

最終回   15
 マスターは子犬の入った段ボールを私に渡して、「お願いします」と言った。
 柵の中のもう一匹の子犬は盛んにキャンキャンと啼いていたが、母犬は黙って私を見ていた。段ボールの中の子犬は小さく、クゥーンと啼いた。
 「これはいつものことです、しかたがありません」とマスターはいい、車の助手席のドアを開けてくれた。私はその席に段ボールの箱を置き、ドアを閉めた。
 「ではこれで失礼します」と言って運転席に乗り込んだ。
 マスターは助手席のすぐそばに立っていたが、奥さんは少し離れたところで、両手を頬にあてていた。私は車の中からマスターに会釈をすると、車を発進させた。
 先ほどとはまったく違った気持ちでの運転だった。晴れ晴れとしていた。
 子犬を見ると、段ボールの中で座って私をじつと見ていた。
 「ケンジロー、よろしくな」と子犬に声を掛けた。私はすでに子犬の名前を決めていた。ケンタローの弟だからケンジローである。それに対しての反応はまだない。しかし、すぐに反応を示すようになるだろう。 
 これから、このケンジローのために忙しくなるなあ、と思った。
 ―いろいろなことをしなければならない。まず、犬小屋の修理だ。ペンキも塗りなおさなければならないだろう。それに保健所にも行かなければならない。食事は何がいいだろう。そうだ庭いっぱいに柵を作ってやろう。せめて家では鎖で繋ぐなんてことはやめよう。青葉にもこのことは知らせてやろう。 私はそれらのことを次々に考えた。楽しい作業だった。久しぶりに心が弾んだ。見ると、ケンジローは段ボールの中で眠っていた。これからはこのケンジローと生活を共にするのだと思った。
 ケンジローは妻からの贈り物かもしれない。私は妻の死を見取ったが、ケンジローも絶対見取らなければならない、と考えた。
 車は曲がりくねった坂道を下って行き、美国の町に入った。美国からは海岸通りが続く。遠く暗い大海原の沖合いには、いまが時期であるイカ漁の漁火が幾つも浮かび、白く灯っていた。
 私は新しく加わった家族の一員のため、我が家へと車を無心で走らせた。


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