私のその様子を見ていた女が、「おじさん、その子犬飼うの?」と訊いてきた。 「いや、そういうわけではないが」と答えると、「ねぇ、ケンちゃん」と男にまた甘い声をだした。 「いゃ、一軒家でないと駄目だ」と男が言うと、「じゃ、家を建てよう」とすかさず女は無造作に言った。 「えっ、そんな金はないだろうが」 「お金を貯めて、家を立てて犬を飼おうよ」 「ううう…」 「ねぇ、そうしょうよ。私も頑張るからさあ」 「うーん、分かった」と、男はその場しのぎの言葉だろうが、観念したように言った。 「本当!約束よ」と女は男の指に指を絡ませて、指切りをした。 男は私のほうをちらりと見て、ちょこんと頭を下げると、女の肩を抱いて車の方へ歩いていった。と、女は振り向き、「おじさん、飼ってあげてね」と言うと、ピースサインを私に示した。私は苦笑いを返すと、また子犬を見た。 ケンタローを飼いはじめたのは、もう四半世紀前のことである。実際に覚えているのかと言われれば、不確かなことが多いかもしれない。子犬のときは特に似ていることが多い。そのように感じただけかもしれないと思い、さらに凝視した。だが、見れば見るほどケンタローに似ていた。 しかし、いまさら飼うわけにもいくまいと思い、その場を離れ車に戻った。エンジンを掛けたが、すぐには発進しなかった。迷っていた。 ひとりであり、いまの年齢のことを考え、私の寿命と犬の寿命を量りにかけた。 そして、私は車を発進させた。 柵を見えるところを横切ったとき、暗闇のため子犬の様子は分からなかったが、なぜか私を見ているような気がした。しかし、致し方ない、と自分に言い聞かせた。 暗い道路を車のヘッドライトが照らしている。私はそれをなぞるようにぼんやりと走らせた。 積丹の台地から美国に入る坂道を下りはじめたときだった。 突然、四つの丸く光るものがヘッドライトの目の前に浮かびあがった。驚いて車を止めると、二匹の北キツネの親子だった。無論、神威岬で見た親子であるはずがない。北ギツネの親子は車を少しの間見ていたが、身を翻すようにして草むらの中に消えた。 そのとき、やはりあの子犬を飼わなければならないと思った。強い妻の意思を感じたのだ。車をユーターンさせてドライブ・インに引き返した。店が閉まっていなければよいがと思いながら、速度を早めた。焦りさえ覚えた。 ドライブ・インが見えてきたが明かりが小さくなっていた。やはり店は閉まっているのだろうか、と思いながら車を駐車場に入れた。店の窓を覗いてみたが、誰もいないようだった。
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