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作品名:神威岬 作者:じゅんしろう

第10回   10
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 私はまた車を走らせながら、かなりの疲労を覚えていた。あたりの木々も、夕暮れとともに薄い墨がかかっているように見えていた。どこかで一休みをして熱いコーヒーを飲み、身体の芯から暖まりたかった。
 たしか台地の中ほどに、ドライブ・インがあったはず、と思い気をつけて走らせていると、左手前方に明かりが見えてきた。めざすドライブ・インだったので、車を建物の前にすべらせた。店に入ると数組の客がいるだけだった。中年の女性ウェイトレスが着たので、コーヒーを注文した。コーヒーがくるまで店内をなんとなく見渡すと、神威岬の駐車場で見かけた若い二人連れがいた。あらためて見ると男は二十歳代前半で、女は二十歳そこそこのようだ。女は今風の目鼻立ちがくっきりと目立つような化粧をしていて、しきりに男に話しかけ笑いかけたりしていた。男は浅黒い顔立ちで頷いたり、一言、二言ぼそぼそと言葉を返すだけだった。会話は女の方がリードしていた。
 カウンターの中で、中年のマスターがコーヒーを入れている。どうやら先ほど注文を聞きにきた女性と二人で店を切り盛りしているから、夫婦だろう。
 コーヒーが運ばれてきた。私はそのままブラックで飲んだ。熱い液体が喉から胃の中に流れ落ちていった。コーヒーの苦さが、胃の中でいっぱいに広がった。また飲んだ。ようやくのこと人心地がついた。
 先ほど自分に起ったことを顧みる余裕が生まれた。
 神威岬での不気味な出来事、身体に起きた異常ともいえる現象、あれはいった何だったのか。あの体験は、蓉子の私へのメッセージだけでなく、自分でも知らなかったもうひとりの自分の存在がある、そのような気がした。
 私はいままでの人生を顧みて、無条件での感動を覚えたことはなかったように思う。何か感動めいたことがあっても、常に何かしらのしがらみのようなものが壁となって真っ直ぐな感情表現というものがなかったといえた。先ほどのことは生まれて初めての体験だった。
 蓉子の意思が私に作用したと思っていたが、それだけではないかもしれない。神の啓示という言葉があるが、私の身におきた神秘的な出来事、これがそうなのか、と思った。それならば、蓉子を超えた大きな力が存在していたことになる。
 ―神…。何の神だ。アイヌの神か、いや、そうではあるまい。人間の心の奥底のことは本人でも分からないことがある。そういえば、人間は深く傷ついたとき、普段は何事もなく生活していても、なにかのきっかけで表面に出てくることがあると、誰かが言っていた。そうならば、あの体験がそうなのか。いや、それだけではあるまい。身体の中を強い痺れが貫き抜けたとき、なにか目に見えないものを感じ、素直な感謝の気持ちが出た。はるかに大きな存在を感じたのだ。あれは単に心が傷ついただけでは説明ができない。
 私は頭が混乱してきた。気を静めるため、ゆっくりと息を吸ったり吐いたりした。


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