T 「大石さん、胃炎ですね」と、渡部医師は小さな眼鏡でカルテを見ながら、私に笑いかけるようにして言った。 渡部医師は四十歳を幾つか超えているように思えるが、童顔のせいか若く見える。いや、年齢不詳といったほうが、見た目の印象からの表現としては正確かもしれない。 「癌ではないのですね?」と私は半信半疑で聞き返した。 「ええ、胃炎です。ストレスからかもしれません。通院と投薬で大丈夫です」と、童顔の医師はきっぱりと言った。眼鏡の中の目が笑っていたので、私は医師の言葉を信用した。 私の妻の蓉子は、二年前に胃癌で亡くなっていた。今年の秋には三回忌をとりおこなわなければならない。 亡くなったのは、私が勤めていた会社の定年退職を迎えた年だった。定年になったら、趣味をあれこれ活かした生活を送りたいと思い、妻とあちこちとドライブや旅行をしょうと、私なりに計画をたてていた。 あるとき、その計画の一端を披露すると、「そんなに早く老け込まれちゃ困るわ。もう少し働いて元気に社会で活躍してもらいたいわ」と言われた。おもわず妻の顔を見返すと、「会社には嘱託の制度もあるでしょう」と念を押すように言った。 私の勤めている金属加工業の会社には、技術を活かすために定年後も五年間の嘱託の制度がある。多少はその気持ちがない訳ではないのだが、当時の私は、毎日が日曜日に憧れていた。 しかし、妻は強く嘱託で働くことを薦めた。勘ぐれば、毎日家でごろごろされて、粗大ごみ化した亭主の相手はごめんこうむりたいのかも知れないと思った。だが、無理に妻に逆らえば、この先どう扱われるか知れたものではない。結局、家庭円満のため嘱託のほうを選択することにした。夫婦も年を重ねると、力関係もいつの間にか逆転しているようだ。 だが、私の定年の期日が近づくにつれ、妻の体調がおかしくなってきた。時々胃に違和感を覚えるというので、はじめのころは胃薬を服用していたが、どうもそれでは治まらなくなってきた。見かねて、私が妻に病院で診察してもらうように言い、二人で市立病院に行った。直ぐにいくつかの検査をし、三日後病院に行くと、胃癌ですと告知された。妻はそのまま入院ということになった。その初老の細面の医師は、妻に頑張りましょうと、力強く言った。しかし、後で私には、残念ながら末期癌で手のほどこしようもなく余命三、四ヶ月でしょうと宣告された。 私は驚き、ではどうして妻に癌と告知したのか、と強い口調でなじるように言うと、今は以前と違い、インターネット等の普及で情報が入りやすく、隠すということはできなくなってきて、この十年程前から告知することが大勢なのです、と説明された。 残念です、と医師は言い、頭を下げた。私はそれ以上何も言えなくなってしまい、ただうなだれるばかりだった。
|
|