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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第9回   9
僕はひとつ大きく深呼吸をすると、土手を降り小道に向かって足を踏み出した。
道の途中、右側にこの集落の小さな墓場があった。以前、父が墓を小樽に移したと聞いていたので、もはや祖先の墓はない。この集落から縁が切れて、四十有余年ということになる。僕は道端から、しばらくの間、陽に照らされている、その墓石の群れを見ていた。
森に入った。森は思いのほか深く、わずかに木漏れ日がさす程度だった。家々はこの森によって永い風雪を耐えてきたのだろう。道の途中に、木製の古い案内板があった。なに左衛門、なに作などと、屋号が書かれてある。試みに数えてみると、三十六家あった。そのほかに仙入院とあるのは、父が可愛がられていた庵主さんの寺であろう。家には一枚だけ、庵主さんと父と叔父さんの三人が写っているセピア色に変色した写真があった。父と叔父さんはまだ幼く、庵主さんは三十代の頃のようだ。父は明治四十二年生まれだから、庵主さんがもし達者なら九十歳をとうに過ぎ、百歳に迫ろうかというところだろう。年齢から考えて、存命されているとは思われなかった。母が叔父から手渡された略図を頼りに更に進んだ。叔父は複雑な気持ちでこれを書いてくれたのだろう、と思った。
目指す大石與七さんの家は、森の切れ目にあった。遠い親戚とはいえ、分家として分かれて八代目というから、江戸時代の話だ。血縁的には、赤の他人といえるのではないだろうか。八代目という響きは、北海道にはない、本州の歴史の永さを感じた。
家の前庭には一本の柿の木があり、たわわに実った柿が晩秋の陽の光を浴びていた。
玄関の表札を見ると、屋号の大石與七とある。僕はひとつ深呼吸をすると、玄関の戸を開けた。ごめんください、と訪問を告げたが、家の中は物音ひとつしなかった。皆さんは農作業に出払っていて、留守なのかと思った。鍵も掛けず無用心と思ったが、この集落では、その必要はないのかもしれない、とも考えた。森がすべて守っているような気がしたからだ。もういちどだけ、声を発してみたが静かだった。諦めかけたとき、奥のほうから小さな物音が聞こえた。やがて、足音が聞こえてきて、小柄なおばあさんが現われた。
名前を告げると、顔いっぱいに笑顔を浮かべて、「よくきたんだず、よくきたんだず」と言い、広い居間に招き入れてくれた。そこであらためて挨拶を交わしたが、他の家族の人たちは、農作業や勤めなどに出ていて、揃うのは夕方だといった。持参したお土産を渡すと、おばあさんは壁に填めこまれている大きな仏壇に供えたので、僕も一緒に拝んだ。中には何代前からなのだろうか、多くの位牌が置かれてあった。


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