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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第8回   8
 「父たちが土橋を離れて小樽に来るということは、僕の祖父の喜左衛門が亡くなってしまったからですね?」 「えっ。そうそう、残念でしたわ」 夫人は僕の不意の質問に、一瞬顔を曇らせたが、つとめて冷静に答えた。 「農業が続けられなくなっていたということは、すべてを失うようなことがあったということですね?」 僕はつい畳み掛けるように質問をしてしまった。 「それは…、その…」 夫人は明らかに狼狽した。
座は気まずい雰囲気になった。僕はまずいと思い、「ただ、単にどういうことがあったのだろうと思っただけです」と、つとめて明るく言った。
夫人は僕のもの言いに、ほっとした様だったが、相沢さんは僕の真意を察したのだろう、「私は家内から聞いただけだが、暁夫くんのおじいさんは、農業のほかに手を広げようとして失敗してしまったということなのだよ」と僕の目を見て、静かに言った。優しげな目であったが、これ以上、詮索はしないほうがいいよ、と 言っているようだった。
僕は黙って頷くと、後日落ち合うことになっている息子さんのことに話題を転じた。
夫人は、息子が電力会社に勤め社宅に入っていること、小学生の孫とのことなどを楽しげに話してくれた。座の雰囲気はもとに戻った。
翌日の朝、夫妻は遠慮する僕を制して、駅まで見送りに来てくれた。ホームで夫人が、列車の中で食べなさいと、紙袋に入った握り飯を手渡してくれた。僕は夫妻にただ黙って頭を下げるだけだったが、もう、これで会うことはないのかも知れないと思うと、胸が熱くなった。動き出した列車の窓から、手を振る夫妻に対して、映画のワンシーンのように僕も身を乗り出し、見えなくなるまで無心に手を振り続けた。夫妻との出会いと別れは、一期一会というのだろうが、二十歳の僕にはまだ分からない。座席に座りなおした後、ただ、しばらく、ぼうっとしていた。
山形駅から鶴岡駅までは、新庄、余目を経由して、庄内平野をぐるりと廻り込む。その為、存外時間がかかって、夫人からいただいた握り飯をほおばり、鶴岡駅に着いたときは昼をとうに過ぎていた。
駅前から横山行きのバスに乗った。バスには数人の若い女性が乗っていて、さかんに話をしていたが、ほとんど内容が分からなかった。父も小樽に来たとき、方言で苦労したということを思い出し、いよいよ父の故郷に来たのだという実感がわき、女性たちの会話を好ましく聞いた。バスは蛾眉橋という橋を渡ると、目指す横山の停留所に着いた。
そして今、二十歳の僕はこの土手に立っている。


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