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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第2回   2
そんな或る日のことだった。僕は得意先からの注文の品々を、自転車の荷台に載せ配達に出た。一軒目を終え、小路から大きな通りに出たとき、一台の自動車が猛スピードで走り抜けていった。危うくぶつかりそうになったが、なんとか躱した。しかしその為、バランスを崩し、自転車ごと横転して、荷台から品物が散乱してしまった。僕に怪我はなかったが、品物はめちゃめちゃになってしまった。ビン類のものは割れ、液体が流れ出していた。包装されているものは、その液体に濡れ、あるいは土に汚れてしまい、もはや、売り物にはならなくなっていた。僕は呆然として、目でその車を追ったが、すでに遠く離れ去っていた。
強い怒りがわいたが、どうにもならない。僕は仕方なく、自転車を起こすと、散乱した品物を集め始めた。しかし、割れたビン類の始末に困っていると、一部始終を見ていたのだろう、すぐ近くの洋品店の老齢の婦人が見かねてか、箒と塵取りを持って手を貸してくれた。婦人は、何も言わなかった。僕は、すみません、すみませんと繰り返すだけだった。すべてが片付くと、老婦人はにっこりと笑い、あんちゃん元気出してね、と言った。
その時唐突に、僕は店を継ぐ決心をした。そして、今まで心の中を覆っていた、いい知れぬ不安という霧が、晴れたような気がした。何か、すとんと、憑き物が落ちたような感覚といえよう。
何故そう思ったかは、後で考えても自分でもよく分からなかった。散乱した品物を、自分が片付けなければどうにもならないということで、何らかの踏ん切りがついたのか。それとも、縁もゆかりもないあの老婦人の手助けと励ましの言葉が、心に響いたのか。ともかくも、突然目の前が開けたような気がした。同時に、これから社会に出て生きていける力のようなものを得た、と感じた。
父の病状は、初めての入院の規則正しい生活のためなのか、一時期かなり回復し、顔もふっくらとしてきて、癌といっても、直るのではないのか、と思えるくらいだった。
父は、その夏のひどい暑さに耐え切れなかったのと、体力の回復に自身を持ったのか、強引に退院してきた。が、それも束の間の糠喜びだった。秋に入ると、食事がおもうように出来なくなり、みるみるうちに痩せてきて、再び入院ということになった。
それでも、肉親の死という経験の無い僕は、いずれまた回復すると信じていた。授業を終えると、配達などの仕事を積極的に手伝った。更に、病院に見舞った折には、得意先との接し方など、分からないことを訊いたりした。そんな僕にたいして、父は噛んで含むように、熱心に教えてくれた。父との間で、家業を継ぐかどうか、という話は直接無かったが、二人の間には暗黙の了解のようなものが出来ていると確信した。


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