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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

最終回   17
だが、その衝撃はさほど強いものではなかった。人々はさまざまな事情で不本意ながら故郷を離れ、見知らぬ土地で暮らし生活を営まなければならぬ場合がある。父や僕もその一人に過ぎないと思った。祖父のことがきっかけではあるが、すでに遠い過去のことと、比較的冷静でいられた。昨日、麗子さんが各所を案内してくれたとき、麗子さんの、この地で生きていく、というしっかりした思いを肌で感じていた。それは、僕もくよくよしてはいられない、という思いを触発させられるものだった。また、父が小樽に来なければ、僕は生まれなかっただろう。したがって、祖父や父の死に対しても、僕の中に、それを押し返す何かが芽生え始めているようだ。
やがて、庵主さんは眠りについたので、また縁側に戻った。尼僧は何か言いたそうだったが、僕は被りを振り、「すべては、僕にはどうにもならない昔のことですから」と言い、無理に笑顔を作り仙入院を離れた。小道に出ると、そこから森のなか全体を見回した。人の行き交う姿はなかった。かつて、祖父によって迷惑を掛けられた多くの村人たちがいたことだろう、と思った。僕は森の中心に向かって一礼した。そうせずにはいられない気持ちになったのだ。
與七さん宅に戻ると、すでに輝夫さんが来ていて、おばあさんと居間で話しをしていた。これを機に、こんどは父と母や家族と来たいということのようだ。屈託のない表情だから、僕の祖父のことは知らないようだ。
おばあさんは、帰るとき庭先まで見送ってくれて、「またおいで」と満面の笑みを浮かべて言ってくれた。僕は思わず、おばあさんの手を両手で握り、頭を下げた。
車は土橋を離れた。最初に立った土手のあたりで振り返り森を見た。父たちの辛い過去を知ったが、今や僕の第二の故郷だと思った。必ず、また来ようと心に決めた。
輝夫さんの家は、奥さんと小学生の息子さんの三人暮らしだった。夜の汽車の時間まで、過ごさせてもらったが、特に共通の話題が合ったわけではない。が、助け舟のようなことがおきた。碁盤があったのである。僕は中学生のときから、囲碁に興味を持ち、高校生のときは囲碁部に所属していて、いまは初段で打っていた。僕がそのことを言うと、輝夫さんは喜色し、私も同じ棋力だと言い、早速打ち始めた。碁は熱戦になり、時間の経つのも忘れるほどだった。そのため、危うく列車時間に遅れそうになり、酒も入っていたため、小学生の息子さんと三人で二台の自転車で駅に向かうという羽目になった。辛うじて汽車に間に合ったが、輝夫さんは別れ際に、「今度機会があればまた打とうや」と言ってくれた。
 汽車に乗り、額の汗を拭きながら、僕は晴れ晴れとした気持ちだった。祖父の自殺という辛い真実を知ったが、父の故郷の人々との出会いは、そのことを拭い去ってくれたように思えた。
 以前、生きていくことに対しての、漠然とした不安は克服することができていたが、いま、動き出した汽車の窓に映った僕の顔を見ると、山形に来る前のこだわりが無くなっていることを確信し、自分に笑いかけた。
 こうして、昭和四十五年晩秋、僕の二十歳の旅は終わった。


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