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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第14回   14
 そこへ、従姉の時江さんが来た。僕より二つ、三つ年上のようで、よく笑う人だった。車は軽自動車で、僕たちは麗子さんの運転で出発した。
與七さん宅から農道を通ったが、黒い牛を引いている農夫を追い越した。振り返ると、牛のとろんとした目が可愛かった。その時、初めて実物の牛を見たことに気がつき、何事にも見聞の浅い自分を恥ずかしく思い、一人赤面した。国道を跨いでいる羽黒の大鳥居と呼ばれる朱色の鳥居をくぐると、ほどなく羽黒山の入り口に着いた。時期はずれのためか、観光客はさほどいないようだ。
羽黒山は標高四一四メートルの小さな山だが、開山は千四百年前ということで、月山、湯殿山とで、出羽三山のひとつと称されている。表参道の二四四六段の石段を、樹齢三百五十年から五百年の杉並木が両側に立ち並ぶ。そのような予備知識を、車中で麗子さんに教わった。
表参道の入り口の隋神門をくぐると、高い杉並木が目に飛び込んできて、別世界に来たような錯覚を覚えた。そこからは継子坂と呼ばれる下り坂だ。下りきると、いくつかの小さなお宮があった。ほどなく朱色の祓川神橋があり、川の右手に須賀の滝がある。この滝で修験者が、みそぎをするために打たれるのだという。麗子さんは何度か来ているのだろう、僕への説明はよどみがなかった。さらに進むと、左手を少し入った所に見事な造りの五重塔が建っていた。国宝だという。再建されたものだというが、それでも六百年前だ。僕は荘厳なたたずまいにしばし見入った。また、参道を行くと、樹齢千年といわれる爺杉がうっそうと立っていた。他の杉を圧倒している高さと幹周りだ。僕が見上げながら、連れ合いは居ないのかな、とつぶやくと、麗子さんと時江さんは、声を上げて笑った。ユーモアと受け取ったようだ。以前、婆杉がそばで仲良く立っていたのだが、暴風によって倒れたということだ。それまで、僕たちはお互いにぎこちなかったが、それからは、ずいぶんと打ち解けた雰囲気になり、歩きながら、しばしば言葉を交わすようになった。
一の坂と呼ばれる坂道を上ったが、杉並木が続く石段は、まるで僕も山伏になったような気にさせた。そして、別名油こぼしの坂と呼ばれる二の坂を上った。昔、義経が鎌倉幕府に追われたとき、弁慶が奉納のため背中に背負った油をこぼしたという言い伝えがある。それほど急な坂道で一番の難所ということだ。ようやくにして、ニの坂茶屋にたどり着いた。ここで一休みすることにして、僕は額の汗を拭きながら、茶屋の展望所に立った。庄内平野を一望でき、遠く日本海も見ることができた。目を転じると、月山が浮かぶように見えた。「月山が見えますね」と言うと、時江さんは、「月山はどごからでも見えますよ」と言って笑った。僕は小樽以外のことを知らずに、東京に出てきたが、父は羽黒山に上り、ここから月山を見ただろうかと思った。当時は今より交通の便が悪いはずだから、祖父の騒動のこともあり、あるいはないかも知れない。それならば、故郷のことを何も知らずに小樽に渡って来たのではないだろうか、それも追われるようにして…。
一休みして、また坂道である。だがその後だらだらとした上り下りの石畳が続き、道幅も広く、散策路のようで気分が良かった。が、最後の難所の三の坂が控えていた。見上げると、杉並木と石段のコントラストがとても良い。そこでしばし佇み見ていたものだから、「あともう少すだす」と麗子さんが励ますように言った。また、上り始めた。まだ続くのか、と思ったところに朱色の鳥居が見え、ついに山頂に到着した。


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