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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第13回   13
麗子さんは、食後のお茶を持ってきてくれたが、すぐには立ち去らず、與七さんの側に控えて少しもじもじとしていた。僕が目を向けると、意を決したように、僕の明日の予定を訊いてきたので、「ぶらりと近辺を歩き回るつもりです」と答えると、「わだすは明日仕事が休みだがら羽黒山どが車で案内したいと思うんだす」と言った。羽黒山は修験者の本山ということは知っていたので、有難いですが遠いところだったら迷惑をかけませんか、と言うと、麗子さんは弾けるように笑い、愛嬌のある顔を見せた。僕が怪訝な顔をすると、「羽黒山は家の前から見えるすぐ近くの山だずよ」と言った。僕が庵主さんのところに行く前に、家の前で見た山だったのだ。
僕も思わず笑い、今年の春、免許を取ったばかりということに、一抹の不安を除けば願ってもないことなので、喜んで承諾した。ただ、従姉が一緒に同乗するとのこと、お目付け役らしい。
農家は朝が早いので、就寝時間が早い。僕は別の大きな部屋に案内され、ひとり寝ることになった。僕に気を使っているのか、あるいは家の人たちも床に就いたのかは分からなかったが、物音ひとつしなかった。僕は暗い天上を見ながら、朝の相沢さんの家から、夜、與七さんの家に厄介になっている一日のことが、頭の中を駆け巡った。あっという間のことのように思えるし、長い一日のような気もした。そのうち、緊張が解け、しらず疲れていたのだろう、眠りに就いた。
翌日、起きて居間に入ると、すでに作蔵さん夫婦は、農作業に出ていた。農業について知識はないが、それにしても、刈り入れは終わっているのに、この家の人たちは働き者のようだと思った
朝食は、また與七さんと向かい合わせで摂った。ご飯は新米で、米は一粒、一粒生きているようにふっくらと立ち上がっていた。口にすると、ほんのりと甘みさえ感じ、旨かった。思わず、旨いなあ、と言うと、與七さんは、にっと笑った。米作りに誇りを持ち自信に満ちた笑顔だと思った。
従姉の方が来るまで少し時間があったので、また、仙入院を訪ねた。丁度、尼僧は庭を掃いているところだった。僕を見ると、昨日はありがとうございました、と丁寧にお辞儀をした。お布施のことらしい。庵主さんは寝ているとのことだ。僕は縁側に座り、出されたお茶を飲みながら考えた。土橋は三十六家の集落である。全部檀家としてもわずかである。寺院はどのようにして維持されているかは分からないが、質素で厳しい生活であろうことは、想像に難くない。あの煎餅は、寺院にとって貴重なものではなかろうか。だから、庵主さんはそれを寝床から見て、呆けていたが脱兎のごとく表れたのではないだろうか。いや、呆けていたからこそ、本能的に行動したのではないだろうか。そこまで考えて、なにか切なくなってきた。祖父がここで米相場に失敗し、すべてを失い、失意のうちに亡くなった。その為に父たちはここに居られなくなり、小樽に渡ってきた。僕は真実を知るために、土橋に来た。だが、それが何だというのだろうか。正直、分からなくなってきた。僕は複雑な気持ちで與七さん宅に戻った。


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