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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第11回   11
僕は驚き、ご存命なのですか、とさらに問うと、はい、このところ時々休まれておりますが、と答えた。さらに寝間まで案内し、引き合わせてくれることになった。仏殿の隣がその部屋だった。明かりはなく暗かったが、庭からの光がわずかにあったので、眼が慣れてくると深い皺で刻まれた、顔の輪郭が浮かび上がってきた。
尼僧は、庵主さんの耳もとで、「大石さまの息子さまが訪ねてこられたんだす」と大きな声で呼びかけた。が、最初反応はなく、二度、三度と繰り返すと、ようやく、うっすらと目を明けた。が、それ以上の反応は示してくれなかった。僕はしばらくその顔を見つめていたが、尼僧に促されて、縁側に戻った。
―父を知り、祖父を知っている庵主さんが生きておられた。 小さな庭に差し込まれた陽だまりのなかで、僕は少なからず感動していた。このことだけでも、土橋に来た甲斐があったと思った。父や祖父のことを聞きたかったが、伏せっているということは、年齢からくるものなのか、それとも、どこかお加減が悪いのか、とあれこれ考えていると、お茶をどうぞ、という尼僧の声に我に返った。
僕はお茶を飲みながら、祖父の喜左衛門の名を口にした。そのとき、尼僧はあらためて僕を見て、喜左衛門のお孫さんでいらしたのですか、と態度が丁寧に変わった。
「庵主さまから、喜左衛門さまがこの寺院を建てる際に、ひとかたならぬご尽力ば頂いたと聞き及んでいたんだ」と言った。さらに当時は、祖父は土橋の有力者であり、敷地も広く田畑も多く所有していたということを教えてくれた。
「そんな祖父が、どうして何もかも失ってしまったのでしょう」と訊くと、尼僧は一瞬どきりとした表情を見せた。 「何でも、米相場でまちがいしたとかで、いえ、それ以上は庵主さまから伺っていねえがらなので、存じねえがらな」と、明らかに狼狽しながら言い、その話を打ち切ろうとした。僕は尼僧が、庵主さんからいろいろと詳しく聞き及んでいるに違いないと思い、さらに話を訊こうとしたときだった。 部屋で休んでいた庵主さんが、寝巻き姿のままで、まるで獣のように四つん這いになりながら突進してきて、僕の側にちょこんと座った。その目は庭に向いてはいたが、何も見ていないかのようだった。尼僧は救われたように、庵主さんに羽織を着せ、茶うけの大きな煎餅を手渡した。驚いたことに、庵主さんは無言でその煎餅をばりばりと音をたてて食べだした。あきらかに呆けていた。
話の腰を折られた僕は、仕方なく寺院を後にするしかなかった。陽が急に落ちてきていて、森の小道は薄暗くなっていた。


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