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作品名:父の故郷にて 作者:じゅんしろう

第10回   10
おばあさんは僕に、居間にある炬燵に入るよう促し、部屋を出て、皿に盛られた柿を持ってきた。柿を食べながらゆっくりしていなさいと言うので、皆さんに挨拶したら鶴岡に戻り、そこで宿を取るつもりだ、と言うと、おばあさんは大きく被りを振り、「是非、泊まっていきなさい、そのつもりで支度していたんだ」と言った。僕は頭の中で母の言葉がよぎった。が、おばあさんの家族もその積もりだからとの、熱心な言葉に負け承諾すると、おばあさんは満足げに何度も頷き、部屋を出て行った。言葉どおり、僕のために支度が忙しいようだ。母や叔父の言いつけに逆らったことになるが、僕自身、内心は好意に甘えたいという気持ちがあったのは事実である。
一人居間に残された僕は、前庭の木に生っていたものだろうか、出された小粒の柿を剥き食べたが、とても甘く美味しかった。あまりの美味しさに、続けて三個食べたほどだ。後に、庄内柿と呼ばれていて、有名なことを知った。
炬燵に足を入れていたが、背中がやや寒かった。あらためて部屋を見回してみると、農家特有の高い天井だったので、そのせいなのだろう。部屋の木々の壁は漆黒で、年代を感じさせた。家の中の何処かにおばあさんがいるはずだが、大きな家のようで物音ひとつ聞こえてこず、静かだった。手持ちぶさたの時を過ごしていたが、ようやく、小さな足音が聞こえてきて、おばあさんが現れた。が、僕に一言、二言声を掛け、また、忙しそうにすぐまた去ろうとしたので、散歩してきます、と断って家の外に出た。
家の正面からは広々とした田園地帯が展望できた。その先にこんもりとした優しげな山が見える。右手側にある土手に立つと、遠く霞の上に雪を頂いたなだらかな白い山が見えた。あれが月山に違いないと思った。父が毎日見ていた山だ。僕はしばらく見続けていたが、視線を下に向けると、父が生前しばしば口にした川が流れている。ここでフナを釣り、鰻を取った川だ。今、両岸は畑になっていて川筋は細かったが、父の話から、子供のときはもっと広かったのではないだろうか、と想像したりした。後で、赤川という名であることを知った。土手から森を見ると、川側に寺院らしい屋根が見えた。仙入院だと思ったので、訪ねてみることにした。與七さん宅からはすぐ近くだ。森の小道から入ると、小さな庭があり、右手に本堂があるだけの、こぢんまりとした尼寺だった。本堂は開け放たれていて、ささやかな仏殿が見える。訪問を請うと、すぐに六十歳前後のふっくらとした顔立ちの尼僧が出てきた。当然、父と親しかった庵主さんではない。かすかに期待していたのだが、やむをえないことだろう、と自分を納得させた。僕はお参りさせて欲しいと頼み、仏殿で幾ばくかの布施をおさめ、手を合わせた。その後、土橋にきた事情を話し、僕が、昔庵主さんに可愛がられた父の名前をだし、その息子だと名乗ると、庵主さんなら寝間で休まれております、と言った。


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