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作品名:蕗の薹 作者:じゅんしろう

第5回   5
市立病院は老朽化していて、病室は薄暗かった。四階にある窓際の病床からは、遠く墨絵のような雑木林が見えた。寒々とした情景であった。妹弟には知らせなかったが、万一のことを考え近くに住む母方の叔父夫婦には知らせておいた。叔父の秦野弥一は優しい人柄で、八十歳代で足が悪いのに頻繁に見舞いに来てくれた。だが、それよりも祐一郎は、毎日杖をついて来てくれる老いた母親の見舞いが一番辛かった。母親は回復したとはいえ、入院している間は食事の支度を母親がしなければならない。そのことが一番心配だった。火の始末だけはくれぐれも注意するようにと、くどいほどいいきかせた。
無事手術を終えたのを機に、後は来なくてもいいといったが、「私は死ぬまでお前の母親だよ」と笑っていった。そのとき、祐一郎は返す言葉がなく、うなだれ嗚咽した。
 手術後の抗癌剤治療は、酷い吐き気と食欲不振に苦しんだが、母親のためにと、耐えきった。脱毛した頭に綿帽子を被り退院したときは、貯めていた金の大部分が消えていた。すぐにでも働きに出なければならないが、身体のバランスが崩れたのか、体調不良が続いた。すぐ癌が転移して再発したのかと不安と焦燥に駆られたほどだ。退院後の定期検診で調べてもらったが、特に再発の兆候は見られにないとのことだった。だが、すぐには働くことはできないでいた。手術前に働いていた夜間の警備の仕事は病気のため辞めていたし、その会社への職場復帰は望むことはできない。それでも、体調が落ち着いてきたのを機に、ハローワークで新たな職探しをしたが、六十歳近くになっていた祐一郎には、仕事は極めて少ない。正社員の身分は望むべくもなく、せいぜいパートやアルバイトの口だけである。いくつか受けたが書類選考の段階で撥ねられ、面接にこぎつけても必ず病気の有無を訊かれた。癌患者を雇う会社はあるはずもない。無論、正直に事実をいうことはなく体調不良のときの病名を告げたが、結果は同じことであった。
 祐一郎は焦ってきた。六十歳になれば厚生年金がでる。それまでなんとか、働いて収入を得なければならない。昨今は、高齢化が進んで人口のバランスが崩れ、年金の支給年齢が引き上げられかねない情勢だった。祐一郎の年齢はその狭間のなかにあった。なんとか、法律が改正する前まで持ちこたえてくれないか、と本気で思った。このままでは暮らしが成り立たない。いよいよ生活保護に頼らなければならないのかと、暗澹たる思いに陥り打ちのめされたような気になった。
 そんなときだった。ときおり顔を出していたリサイクルショツプの店主である立石から、アルバイトをしてみないか、と誘われた。引っ越しや遺品整理がおもな仕事だという。常時仕事があるわけではなく安い金額であったが、日当は即日払いということでとびついた。祐一郎は地獄に仏とはこういうことかと思ったほどだ。これまで母親の年金を頼ったことはなかったが、状況を見兼ねた母親がみずから申し出てくれた。母親の年金は国民年金だったので金額は多くはない。情けなかったが自分の年金が入るまではと、頭を下げるしかなかった。アルバイトの収入と母親の年金とで、ぎりぎり親子二人の糊口を凌ぐことができた。さらに貧しい生活に耐え続けた。
 そして、ようやく祐一郎に年金が支給され一安心といったところで、それを待っていたかのように母親の慶子が心筋梗塞で亡くなった。経済的に少し楽になってから、一年余りのことだった。そして今日、ひとり納骨に来たのである。
 ながい慟哭の後、ようやく祐一郎は頭をあげ、タオルで涙に濡れた顔を拭った。
 墓石の前方の石をずらし穴の中を覗いてみると、三十五年前に亡くなった父親の遺骨が見えた。祐一郎はその遺骨に手を合わせ、父さん、これからは母さんと一緒です、と呟くと骨箱から母親の遺骨をすべて注ぎ込んだ。その中でわずかに遺灰が舞い上がったが、二親は喜んでくれているだろうかと思いながら、また手を合わせた。自分の中で、ひとつの区切りがついたと安堵した。


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