20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:蕗の薹 作者:じゅんしろう

第2回   2
 祐一郎は十年余り前、事業に失敗し会社も自宅も失っていた。親から継いだ従業員が五、六人の小さな金属加工会社で、資金繰りが苦しくいわゆる自転車操業といえた。それでも何とか経営していたのであるが、その状況を打開するため、或るブローカーからたまたま舞い込んできた大きなプラントの仕事に手を出した。が、不渡り手形を掴まされ、連鎖倒産をしてしまったのである。負債は会社の再建が到底望めぬほどの大きな金額であった。その時、あれこれと金策に走ってみたものの、どうにもならなかった。取引のあった親しい銀行員からは、人の良い貴方はその人に嵌められたのですね、といわれた。債権者の幾人からは人格を傷つけられるような罵詈雑言を浴びせられた。弁護士に会社と自身の破産手続きを頼んだが、裁判所からのいろいろな通知を受け取るたび、ずしりと身に応えた。そして破産した。死ぬ思いをしたといってよい。妻の芳美は子供というかすがいがなかったためか、祐一郎に対して長年溜まっていた不満もあったのか、あっさりと去って行った。数年の後、再婚したということを祐一郎は人づてに聞いた。すべてを失い、残ったのは年老いた母親だけであった。祐一郎はそのとき五十歳を越えていた。
 祐一郎にとってこの経験で分かったことは、人間は綺麗な生き物ではないということだった。いまさら何をという歳であったが、銀行員に言われたように、そのような人柄のまま生きてきたといってよい。精も根も尽き果て、深く傷ついた。そのときから、祐一郎は世間に背を向け、心を閉ざした。路地裏の古い小さな家を借り、母親と二人だけでひっそりと暮らした。金属加工の技術者でもあり、その方面に職を得ることもできたが、その過去は捨てた。仕事はマンションの管理人や夜間の警備員など、表面的なことはともかく内面的には人と係わることが少ないものにした。年賀状のやり取りも、ごく限られた人だけにした。可能な限り人と接触しないようにしたのだ。妹と弟がいたが遠く離れた本州で家庭を営んでいる。いまさら老母を見知らぬ土地で生活させることはできないと考えていた。二人とも金銭的に余裕のない生活を営んでいることは分かっていたから託すことはできないし、頼むことも全然考えなかった。実際、どちらも何もいってこなかった。新たな仕事から得る収入は少なく、経済的にはぎりぎりの生活に耐えねばならなかった。死ぬことを考えたこともあるが、母親より先に死ぬことはできない。母親を看取ってからでなければならないと、祐一郎はただそれだけを想って生きてきたといえた。
 ふと肌寒さを感じたので、見上げると明るかった空はいつの間にか薄い雲で覆われていた。この時期の天候は変わりやすい、陽が差さなければ暦通りの寒さになる。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 4237