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作品名:蕗の薹 作者:じゅんしろう

第14回   14
翌週、入院して手術することになったので、祐一郎は義理の叔母の家に行った。手術する場合は親族の同意書が必要だからである。叔母には心配をかけないため、良性の腫瘍ということにして、できるだけ穏やかに告げた。
「癌の再発ではないのね?」と、叔母の秦野とき子は心配顔になっていったが、祐一郎の笑みを浮かべながらの否定の言葉に、すぐに何かを感じて納得したようだ。それを、「顔色はよさそうだね」という言葉でいいあらわした。
当日、同じ病室に入った。だが、川本はいたが高橋という患者の姿が無かった。
祐一郎は川本にそのことを尋ねると、様態が急変し、亡くなったといった。
「以前あの人は私に、まだ生きる希望を持っている、といっておられたが叶いませんでしたね、お気の毒なことです」 祐一郎は相槌をうつことはできなかった。ただ、黙って俯いた。
手術の当日、ストレッチャーに乗せられ病室から手術室に向かうときだった。叔母の秦野とき子には、見舞いを断っていたのだが、廊下で鉢合わせになった。言葉を交わす間がなかったが、とき子はあわてて祐一郎の手を一瞬だが握った。祐一郎は黙って唯一の見舞客である叔母に頷き返した。祐一郎はストレッチャーに揺られながら、有り難う叔母さん、と心のなかで何度も繰り返した。目頭が熱くなり、目を瞑った。
手術は何事もなく無事済んだ。担当医の言葉通り、早期発見だったので、後は傷口が塞がり次第退院ということになる。抗癌剤治療は、通院での治療をすることに決めていた。三ヵ月ほどの長く苦しい闘いが待っているが、やり抜いてやる、という気概ができていた。祐一郎は心の底から、人に生かされた、という実感をいだいていた。このような気持になったのは初めてだった。祐一郎のなかで、何かが変わった。
祐一郎の入院中に隣の川本の容態が、傍目にも分かるほど見る見るうちに悪化して、痩せ細ってきた。家族だけではなく、親族や知人の見舞いが連日続くようになった。
祐一郎は、川本の最期のときが来たのだと思った。その川本が退院することになった。本人の希望で、家で死にたい、ということのようだ。その時、祐一郎は川本に、蕗の薹を見ることができればよいですね、と惜別の言葉をおくった。すると、川本は落ち窪んできた目で祐一郎を見つめ、どうやら難しそうです、代わりに貴方が見てくれませんか、と、かすれ声でいい、ゆっくりと笑った。覚悟をしているのだろうか、なんともいわれぬ不思議な笑顔だった。祐一郎も、はい、と頷き返した。川本は家族に支えられながら退院していった。それから数日後、祐一郎も独り退院した。


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