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作品名:蕗の薹 作者:じゅんしろう

第12回   12
 翌朝、病院に入った。以前入院したときとは違う廊下を隔てた向かい側の病室だった。今回入院することは誰にも知らせてはいない。前回頻繁に見舞いに来てくれていた叔父は、二年前に脳溢血ですでに亡くなっていた。母親の死亡で、この街には祐一郎の血の繋がっている親族は誰もいない。わずかに亡くなった叔父の妻であった八十歳代の義理の叔母だけだ。その叔母も本州に住んでいる長男家族の所に行くことになっていた。そうなれば、この街での親戚は誰もいないことになり、祐一郎ただ独りになる。病室のベッドに横になり、くすみがかった白い天井を見上げながら寒々とした想いをいだいた。
その日、CT検査や超音波検査をした。次の日は胃腸の内視鏡検査である。検査の前、血圧と脈拍を測ったが普段と変わりのない数値だったので、祐一郎は自身の精神的な乱れがないことを確信した。前日の夜、結果がどうあれ素直に受け入れようと腹を括ったことに揺るぎがなかったことになる。ただ、靄のようなものが胸に漂ってはいたが。
検査を終えベッドに横になっていると、向かい病床の患者が吐いているうめき声がした。見ると、六十歳くらいの人で洗面器に液体状のものを吐いていた。付き添っている奥さんはしきりに背中を擦っていたが、抗癌剤の点滴をしているようだから、どうにもなるものではなかった。その苦しさを知っている祐一郎はやりきれなくなって胸が痛み、また仰向けになり天井を見つめた。祐一郎は、癌が再発したとしても抗癌剤治療は拒否するつもりでいた。あの苦痛は体験したものでしか分からないだろう、と考えていた。思い出しただけでも気分が悪くなり、自身が吐き気をもよおし堪えねばならなかった。ようやく落ち着いたが、その患者はまだ吐き続けていた。祐一郎は堪らなくなって病室を出て、通路にある長椅子に腰をかけた。そこは窓ガラスを通して、陽の光が入り込んでいた。冬の弱い光ではあったが、上半身を浴びて、ほっとひと息がついた気がした。祐一郎はそのままぼんやりと陽の光を浴びつづけた。
「おや、日向ぼっこですか、いいですね」と、声をかけられたので見ると、同じ病室で七十歳代とおもわれる川本という患者だった。柔和な笑い顔を祐一郎に振りまきながら隣りに座った。
「向かいの人、吐いていたものですから、たまらなくなって」
「ああ、高橋さんね、あの人も大変だ」
「様子から察すると、末期癌でしょうか」
「ええ、この前、先生が本人に対して、治療の手はすべて尽しました、といっていましたから、そうなのでしょうなあ。もっともかくいう私もそうですが」
祐一郎はその言葉に、思わず川本を見返した。痩せ気味ではあるが末期癌ということを微塵も感じさせず、飄然としていた。


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