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作品名:赤井川村にて 作者:じゅんしろう

第9回   9
 私は現場に戻り、淵に漂っていた老人の竿を川から引き上げたとき、父の形見の竿のことを思いだした。はっとして、川下を見たが見えない。私はすこし下って、川の中ほどから凝視してみたが、やはり見えなかった。なおも探したかったが、老人をほうってはおけなかった。後で探すことにして戻ると、老人は様子を窺っていたとみえて、「竿をなくされたのですか、弁償します。いや、弁償させてください」と言った。
「いえ、まだ分かりません。後で探します。まずは、あなたの車のところまで送ります」と答えて、老人をうながした。
車まではそう遠くなかったが、渓流釣りに利用するには不釣合いな大型の黒塗りの高級車だった。あらためてお礼がしたいので、貴方も必ず村の温泉まで来てくださいと、懇願するように言う老人を、必ず行きます、と答えて車を出させた。
また現場の川原に戻るまでが、もどかしかった。朝方よりやや増水していたので、流されてしまっている、と最悪の状況を覚悟した。だが、運良く何処かに引っ掛かっているかもしれない、と考えたりした。あるいは何かの拍子で折れているだろうか、と結果の善し悪しを交互に思いめぐらした。
父の形見である、普通の竿ではない。ましてや愛用してから二十年の歳月が過ぎている。いまでは自分の一部ともいえた。
ようやく戻ると、すぐに辺り一帯を探し回り、丹念に両岸の木々の隙間なども見て回った。かなり川を下ってもみたが、見当たらなかった。他の釣り人はいないようだったから、拾われた訳ではないだろう。やはり、流されたのだろうか、などとあれこれと思い巡らした。仕舞いには、折れていてもいいから、とまで思ったが、竿も魚籠も、ようとして見つからなかった。
ついに、諦めたときはかなりの時間が経っていた。私はもとの場所に戻ると、座り込んでしまった。私は煙草をのまないが、あればのんでいたかもしれなかった。
しばらくぼんやりとしていた。また父を亡くしたような心境だった。心の中で、その代わり人の命を助けた、と納得させようとしていた。まさか、傍観して人の難儀を見過ごすことは出来ない、と考えたとき、俺は親父と同じだ、と心の中で叫んだ。父も事故死した時も、無我夢中だったろう、と思った。決して溺れかけている人を助けることに、躊躇しなかったはずだ。強い確信をもった。父の事故死の経験があったから、上手く助けることができたのだ。父に助けられた、と思った。老人が一瞬父に見えたのは、錯覚ではなく父だったのだ、父に会えたのだ、と思った。よくやった、と褒めてくれたのだ。そう考えたとき、形見の竿の未練がふっと消えた。自分自身の新しい竿を買おう、と決め、勢いよく立ち上がった。


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