20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:赤井川村にて 作者:じゅんしろう

第8回   8
男の顔は真っ青である。生きているのか死んでいるのか、分からない。すぐ人工呼吸の作業に取り掛かった。さいわいなことに、父親の事故死のことがあった為に、蘇生術は学んでいた。男の口に息を吹きこみ、心臓マッサージを施す行為をし、繰り返し同じ動作を続けた。だが容態に変化が起きなかった。どの位そうしていたのだろうか、男がようやくごぼごぼと、水を吐いた。さらに続けると、ううっ、と呻き声をだした。生き返った、と思った。男の両頬を軽く叩き、大丈夫か、と声を掛けた。
男はかぼそい声で、薬をと言い、ジャケットのポケットのボタンを外そうとする仕草をした。私が代わりに開け、薬を取り出し、男の口に含ませた。さらに川の水を両手ですくい、その口に流し込んだ。男がはっきりと気がつくまで、マッサージをほどこし続けた。さいわい日差しが射しているので、体温の低下はだいぶ免れているようだ。男の顔に徐々に生気が戻ってきて、ようやく目をうっすらと開いた。しばらく私をぼんやりと見ていたが、ようやく自分の身に何が起こったのか理解したようである。弱弱しかったが、ありがとう、と言った。
私は、もうこれで男は助かると確信すると、急に自分自身に非常な疲れを感じた。崩れるように川原で仰向けに大の字になり、肩で荒い息を吐き続けた。
陽が空を支配しているかのような、明るさだった。目を閉じた。何も考えることが出来ず、ながい間、そのままぼうっとしていた。聞こえるのは流れる川の音だけだ。
どの位そうしていたのか分からない。時間の感覚が無くなっていた。ふと、影を感じた。目を開けると、年老いた男の顔が真上にあった。一瞬、親父かと思った。そんな筈はない、と慌てて起き上がった。錯覚だった。全然違う年老いた顔が心配そうに私を見ていた。大丈夫ですか、とこんどは逆にその老人に言われた。さきほどより、声に力があった。
私は被りを振り、あなたこそもう良いのですか、と聞き返すと、はい薬が効いて発作は治まったようです、と言い、私の手を両手で握り、ありがとうございました、と言いながら繰り返し頭を下げた。
その老人の話すところでは、心臓に持病があるとのことだ。家族に止められているのだが、渓流釣りが好きで止められない、と言った。川で死ぬことが出来れば本望だ、とも言った。が、しばし沈黙の後、「人様に迷惑を掛けてしまった」と、うな垂れ溜息交じりで言った。
私はまだショック状態が続いているのだろうと考え、私は、今日はこれで止めにして、身体を温めるため村の温泉に入るが、あなたも入ってから帰ったほうが良いのでは、と勧めた。老人も同意した。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 5017