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作品名:赤井川村にて 作者:じゅんしろう

第7回   7
私は次のポイントに、また糸を放った。
また、それを何度か繰り返すうちに、ついに当たりがきた。惜しくも餌をとられた結果に終わったが、良いポイントのようだ。俄然やる気になった。また糸を放った。
何度かめに当たりがきた。こんどは手ごたえがあった。このぐぐぐっと、手に伝わってくる感触がなんともたまらない。魚との、ちいさな格闘である。川面を魚が飛沫を上げて躍りあがり、勝利した。中型の岩魚だった。自然に顔がほころぶ。私の癖で、つい辺りを見回した。さきほどの男はまだ同じ姿勢で休んでいた。表情は分からない。
私は新しい餌をつけ、今度はさらに大きめの岩魚をと願い、糸を放った。何度目かに当たりがきた。魚が水を跳ね上げ、また勝利した。二匹目も岩魚でさらに型が良かった。満足してまた、まわりを見回した。あの男はまだ同じ姿勢のままだった。まだ、休んでいるのか、と思った。が、何か気になってよく見てみると、足元の辺りに竿が引っかかるように浮いていた。何か異変が起きているのかと、さらに凝視した。と、男は背をあずけている土手から、ゆっくりと崩れるようにずり落ちていき、水の中に没していった。
あっ、と思ったとき、すでに私の身体は反射的に男の方に向かっていた。川の中の移動は難しい。急ぐのは危険であるが、全然考えなかった。無我夢中だった。激しく水しぶきがあがっているが、見えるのは手や腕だけだった。何かに身体が引っかかっているのか顔は出ていなかった。まずい、と思ったが、気持ちだけが焦って川の流れに阻まれ思う様に近づけなかった。ついに竿も魚篭も放り投げ進んだ。
ようやくその場にたどり着いた。水の中の年寄りらしい男は力なく、もがくことを止めていた。水面に出した手がゆっくりと沈んだ。正面から男を抱き上げようとしたとき、父の事故死のことが頭をよぎった。男に無意識にしがみ付かれる可能性があった。私は男の後ろに回り、両腕の間に両手を入れ、羽交い絞めするように、一気に引き上げた。かなりの重たさであったが、後で考えても自分でもびっくりするような力で、男の上体を水の中から出すことに成功した。そのまま折り重なるように土手に身体をあずけた。
私はしばらく荒い息を吐き続けた。そうして大丈夫か、と声をかけ、身体を揺さぶった。男は無反応だった。呼吸もしているのかしていないのか分からない。慌てていた私は、ようやく人口呼吸をして水を吐かせ、蘇生させなければならないことに気がついた。この場では無理だった。辺りを見まわすと、対岸はわずかな広さであるが小石の川原があり、水に浸かっていることなく乾いているようだ。直ぐに向かったが、男はぐったりとしたままだ。男は重たく、川の流れの中の移動は困難を極めた。何度か男もろとも転んだ。全身びしょ濡れになって、ようやく目指す場所に着いたときは、私自身息が切れそうだった。


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