年月を経るごとに、本や釣具屋で知識を得て、実戦で経験をつんだ。今や玄人はだしの釣り師と自負している。 赤井川の細い支流に入り込むと、両側は笹で覆われたりしている。風で笹が揺れたりすると、熊が出てきたのではないかと、慌てて逃げたりもした。流れの速い所では、亡くなった父の事故死のことを考えたりもしたが、性にあっていたのか渓流釣りは止められなかった。父の血の継承を感じたし、川に入っていると、父と無言の会話をしているような気になった。男は父親と意識、無意識に係わらず会話をし続けているものかも知れない。 赤井川村は地形がカルデラ状であるから、しばしば雲海が発生する。私は帰り道の高台からそれを数限りなく見た。そして、私は通うほどに、父もきっと早朝の蒼い湖と夕暮れ時の紅く染まった雲海を見るのが好きだっただろうと、確信している。同じ思いを共有しているはずだということに、すぐ身近に父を感じていた。 結婚してから、握り飯づくりは妻の役目になった。 父と同じ様に、一度だけ妻を連れて行き、父と同じ言葉を使った。 妻は、私も一緒では駄目なの、と言ったが、私は、男にはどうしょうもなく独りになりたいときがあるのだ、と答えた。 妻は、そう、と少し寂しそうに言い、しばらく黙っていたが、こくりと頷いた。後ろめたくもあったが、押し通した。 こうして、年月を重ねた。 ふいに頭上で、ピーヒョロロと、鳥の鳴き声に我にかえった。見上げると鳶が空を悠々と舞っていた。いつの間にか陽も高くなっている。見渡してみると遠く上流のあたりで、人影がちらっいていた。私と同じ、ひとりのようだ。何匹かは釣れているのだろうか、と思い、私も腰を上げまた川に入っていった。 こんどは淵のあたりを狙うことにした。やや、上流のほうに歩かなければならない。 すこし水深があり、用心しながら進んだ。 人影もはっきりとしてきた。私より年嵩の男性のようだ。どのような魚を狙っているのかは分からぬが、長い竿を用いていた。 私は、今度こそはと思いながら、よさそうなポイントに糸を放った。川に漂う哀れな虫になりきった。しかし、食いついてはくれない。それを何度も繰り返した。だが、同じことである。ポイントを変えようかと、ふと、上流のほうを見た。いつのまにか、男の姿が消えていた。私と同様引きがない為移動したのかと思った。 またすこし上流に移動した。すると川の曲がりのあたりの緑に茂った木々の隙間から、その男が見えた。休息を取っているのだろうか、土手に立った状態で身体をあずけていた。
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