夜明け前の赤井川村は湖の底である。 湖はまわりをぐるりと山々に囲まれていて、カルデラ湖のようだ。村人はその底で、静かに眠っている。 車を小樽市から隣町の余市町に走らせ、赤井川村に入る道をとり、冷水峠を下りだすとにわかに湖が出現する。 だが、地図に湖の記載はない。その正体は深く濃い靄であった。 清冽感に身体が浸されるような時間帯である。走りすぎてゆく木々や、道が曲がりくねるたびに見え隠れする湖は蒼かった、すべてが蒼かった。 私はこの感覚を味わうために夏から秋にかけて、ひとり渓流釣りにくる。もう二十年という年月を重ねていた。 ただ、湖の出現はその日の気象状態による。湖を見ることが出来るか出来ないか、それも楽しみのひとつであった。 峠を降りきったときには、いくぶん明るくなっていた。村の入口にある街路灯が、私を迎えるように立ち籠める靄のなかでぼんやりと灯っていた。 さらに、いつもの野原へ車を走らせる。 そこで、ある種の先が枯れた低く細い木を鉈で裂いてやると、ブドウ虫と呼ばれる白い小さな虫が這い出てくる。スカシバ科の蛾の幼虫で、魚の餌にする。二、三十匹ほど捕って、今日の釣り場の予定地に向かった。 赤井川村には、村名のもとになっている赤井川が村を縦断している。その他、多くの小さな川があるが、ほとんどが赤井川に流れ込む。 今日は赤井川の広い川原で釣りを楽しむつもりである。だが、魚影は薄い。 のんびりしたいときや、考え事があるときは、いつもそうしていた。初めて川釣りを始めた場所でもある。 目指す釣り場に着くまでに、何ヶ所かに車が止まっていた。そのあたりは絶好の釣り場である。ただし、狭隘の川の中やごつごつした川原を歩き回らなくてはならない。 目的地に着くと、やはりといおうか、他の車は止まっていなかった。当然、釣りの成果は望み薄で、獲物を獲得するためには持久戦を覚悟せねばならない。
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