20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:菜箸 作者:じゅんしろう

第8回   8
Y
 葬儀が終わって二日たつ間に、今後のことを咲子夫婦と話し合っていたのであるが、継母は父の死のときもそうであったが、残された遺族が困惑することの無いよう、見事としかいえないようなくらいの整理が生前からなされていたことを知った。身の回りのものは生活していくうえで必要最小限のものしか残されておらず、いつでも死を迎えることができる準備がなされていたのである。自分の人生を見切っているとしかいいようがなかった。見事だと思った。
 会社のこともあり、翌日帰るという夜、咲子が私を継母の部屋に導いてくれた。
 継母の部屋は六畳の和室で、きれいに整えられていた。その部屋の和机の上に大きめの木箱が置いてあった。咲子が蓋を開けると、いろいろな種類の小刀や作りかけの竹の菜箸があった。
 「ここで菜箸を作っていたのか」
 「ええ、いつもこの時期になるとひとりで作っていたの」その夜、お茶を持っていったらすでに倒れていて冷たくなっていたけれど、安らかな顔だったわ」
 「そうか、苦しんだ様子はなかったのだね」と、あらためて訊いた。
 「ええ…」 咲子は初めて涙声になっていた。
 私は作りかけの菜箸を手に取ってみた。私が結婚してから三十年近くなるが、その間途切れることなく送られてきたものである。
 「もう、この菜箸も送ってもらうことはないのだな」と呟くと、「いえ、これからは私が作って送るわ」と咲子がいった。私がその言葉に驚き振り向くと、「ええ、母さんから作り方を一通り教わっているから、これからは私が後を継ぐわ。母さんのようにうまく作れるかどうかわからないけれど、私の菜箸を作ってゆきます。代々、母さんの家系の伝統だから」と咲子は決意を告げるようにいった。
 「伝統?」
 「そう、母さんの家系の女の文化の伝統なのよ」
 それから、咲子はそのいきさつを語りだしたが、それは思いがけないものであった。
 継母の祖先は水戸藩の下級武士の出であり、貧しかったので内職で生計を立てている暮らしだったということだ。しかしながら、つつましい生活ではあるが人々は気高くけっして誇りを失わなかったということである。そのなかで、いつのころかは分からぬが、竹藪から竹を採取してきて、菜箸を作りだし、それを親しい人に年始の挨拶に持参していくことを始めてから、そのことが代々の女に伝わったということであった。
 「本当なら、水戸の周辺で暮らしていたはずだけれど、あることがあって水戸を離れ東京に出て、さらに北海道に移り住んだの」
 「あることとは何?」
 「うん、話せば長いことなのだけれど、お母さんから伝え聞いたところによれば…」
 それによれば、幕末の動乱期に水戸藩では、勤王派の天狗党と佐幕派の諸政党により、互いに殺し合いがあったということだ。多くの男たちが死に、その家族は悲惨な運命に見舞われた。男が死に絶えた家は、女系によって再興され、それには母親の人柄や能力が苦難を乗り切るうえで大きな力になった。男たちのようにくだらない理屈に振り回されることなく、額に汗して働き、棲みにくい世の中を静かに力強く生き通して、家を守り子供を育てたということであった。それができたのは、まさしく貧しい下級武士の家だからこそだという。明治維新後、上級武士の子女は華美に慣れ切っていたので、遊女に身を落としていった人が多かったという。そして、明治の初めのころ東京に出て、井の中の蛙のような論争と闘争に明け暮れていた愚を知り、さらには新天地を目指して北海道に渡ってきたということであった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 2604