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作品名:菜箸 作者:じゅんしろう

第6回   6
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 庭のあたりから聞こえる奈美江の声で目を覚ました。葬儀が無事に済み、知らず疲れがたまっていたのか朝寝をしたらしい。
庭に出入りができる居間の縁側に立ってみると、今日も小春日和の暖かい日差しの中を咲子と奈美江が何かの後片付けをしているのか、庭の片隅にある物置小屋の間を行き来していた。もう普段の生活に戻ったのかと、庭を眺めた。
 庭は百坪ほどあり、正面はツツジや紫陽花などの草花が、それぞれの時期に花を咲かす。咲子たちは左側の野菜畑になっている一角で片付け作業をしていた。
 咲子が私に気付き、おはよう、といいながら近づいてきた。
 「よく眠れた。朝食を食べる?」と訊くので断り、ここでお茶を飲みたい、と頼んだ。
 私は縁側に座って、畑の一角をぼんやりと眺めた。
 草花は実母が育てていたが、畑は継母が家に入ってから作ったものである。トマト、胡瓜や茄子などを栽培していた。小樽の短い夏によく冷えたトマトはじつにみずみずしく美味かったのを覚えている。
 咲子が手渡ししてくれたお茶を一口啜って、畑はこれからどうするのか、と訊くと、これからも私が作っていく、といった。継母を小さい時から手伝っていて、いまは奈美江に作り方を教えているとのことだった。
 私は茄子の漬物は美味かったなあ、と呟くと、今年のお母さんの漬けたのがあるわよ、と咲子がいい、台所から持ってきてくれた。
 継母の最後の漬物か、と思いながら口に入れると、しんなりとした味が広がった。
  昔、高校や大学の受験勉強をしているとき、夜食にお茶漬けと茄子の漬物を持ってきてくれたものだった。じつに美味かった。
 「これからは奈美江と二人で作るのか?」
 「ええ、奈美江が家にいるあいだわね。そのあとは私一人かな」
 「輝夫君は?」
 「駄目、駄目、いままで畑仕事は女だけ。あの人は、会社を定年退職したら土いじりをしてみようかな、といっているけれど、どうなることか」
 「……」
 「畑仕事はこれで年季がいるのよ」といて、咲子は継母との野菜作りの思い出を面白おかしく話してくれた。奈美江も加わって、ひとしきり庭は笑い声に包まれた。
 葬儀の次の日とは到底思えなかった。まるで家の中に継母がまだ元気にいるような錯覚をいだいたほどだ。継母と咲子の生活のやり取りはどのようなものだったのか、と内心思わずにはいられなかった。
 「英一さんはどうしています?」と奈美江がふいにいった。 私は英一と貴子の近況をいい、あらためて一人でしか来られなかったことを詫びた。
 父の葬儀のときは家族全員できたが、そのときはまだ子供だった。
 「会社、いずれは英一さんに継がせるの?」と咲子が訊いた。
 「いや、それはまだ分からない。会社経営は甘いものではないからね」といいながら、そのことについてまだ正面から向かい合って話をしたことはなかったな、と思った。まずは、英一の好きにさせてやろうと、考えていたからだ。
 「じつは英ちゃん、大学生の夏休みのとき、突然前触れもなく一人できたことがあるのよ」と咲子がいった。
 思いがけない話に思わず咲子を見ると、「しばらく家には内緒にしていてくれと、頼まれていたから今まで黙っていたけれど、いい機会だからいうわね」といった。
 「なぜ内緒にしてくれといったのだろう」と訊くと、「英ちゃんなりに今後のことについて迷っていたのではないかしら」と咲子がいった。
 「涼しい北海道でこれからのことを、じっくりと考えようということかな」
 「いえ、母さんに会いにきたのよ」
 「継母に?」
 「そう、父の葬儀のとき皆と来たでしょう。そのとき母に何かを感じたみたい」
 「うん、おばあちゃんとよく話をしていたわね、すごく気が合ったみたい、あちらこちらへとよく二人で出かけて行ったから」と奈美江がいった。
 「そのようなことがあったのか、英一は何もいわなかったからな」
 十年前といえば、英一はまだ中学生である。その眼から見ても継母には何かを感じさせるものを持っていたということだろうか。私は英一の顔を思い浮かべながら、私の知らない別の英一を見る思いがした。かつて、継母と私との間では、会話は多いとはいえなかった。その分、英一に私をだぶらせて、接してくれたのではないだろうか、と思われた。
 「今どきの若者はそのようなものでしょう、うちも似たようなものよ」と咲子は慰めるようにいい、奈美江に「あなたも覚えがあるでしょう」といって笑った。途端に奈美江は、うんうんと頷き、可愛らしい仕草を見せて微笑した。
 この母と娘の間には、お互いを信頼してあって何の問題も無いことが分かった。継母と咲子の間もそうであったことであろうことは、容易に想像がつき、継母を中心にこの家族はよくまとまっていたのだろうと思った。英一もそれを肌で感じ、継母を訪ねてきたことの正解を確信したことだろう。私との今後の進路を話し合う前に、別の角度から考えてみようとしたに違いないと思った。継母には若者を引き付ける何かが備わっているのだろう。奈美江と真一も継母の感化をおおいに受けたに違いない。私の子供たちと咲子の子供たちの違いは、そのあたりにありそうである。今日、家庭内での忌まわしい事件がよく報道されているなか、まるで別世界にいるような気がした。例えていえば、江戸時代にいるような感覚であろうか。


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