翌日、小樽市街を見下ろすようにそびえている天狗山(といっても標高五百三十三メートルであるが)の麓の最上町というところにある火葬場に、葬祭業者の車で行った。遺体の搬送は業者を通さなければならないらしい。その火葬場は墓地の一角にあり、家の墓もある。 昨夜、葬儀に来てくれた人々全員が顔を見せていた。火葬の間、控室のやり取りを見ていると、継母とのつながりをあらためて感じさせられた。皆、死に対してごく自然に向き合っているという、淡々とした態度をみせていた。それは他人の死だからということではなく、やがておとずれるであろう自分の死に対しても、向かい合っているというようにも思えた。 私も実母や父のときは無論のこと、いくたびも火葬場での経験は経てきていたがこのような感じをいだいたのは初めてであった。継母の懇意にしていた参列者の人々を見ていると、死というものが些細なことのように感じられ、死に対しての恐れというものが薄れていくような感覚を覚えた。私も、そのようなことを考え理解しうる年齢になったということであろうか。今までぼんやりといだいていた死ということへの思いが、じかに肌に触れた気がした。 私はそこを離れ、ひとり、家の墓に向かった。 墓地は丘の斜面を削って、棚田のように並んでつくられている。家の墓は小高い位置にあり、遠くの街並みや小樽港、さらには遠く石狩湾が見える。 今朝は小春日和という陽気だったので、坂道を登ったら汗ばむくらいだった。 墓は綺麗に掃き清められていて、さほど日を経ていない花束が供えられていた。誰が来たのであろうかと思った。どちらにしろ、これからは父と実母と継母との三人が仲良く眠るかと思うと、ふと心が和んだ。 下に火葬場が見える。実母と父が亡くなった時は古い火葬場だったので、高い煙突があり、そこから煙が上がったとき、実母や父の煙だ、とひどく感傷的になったのを覚えている。今の建て替えられた火葬場は新方式だとかで煙突はなく、煙は見えない。何故かそのようなことさえ、なんとなく継母らしいあっさりとした火葬だなと、と思った。 おじさん、と声をかけながら真一が上がってきた。もう時間だから戻ってくれとのことだった。 「真一、墓には花が供えられているけれど、お母さんかい?」 「いえ、ついこの間、おばあちゃんと一緒に来て、お参りしたときのものです」 亡くなる二日前のことだという。何となく死の予感のようなものがあったのであろうか、と考えていると、真一は額に浮いた汗をハンカチで拭きながら、「おばあちゃんはよく一人で墓参りをしていたのですよ。このごろは歳だからときどき、僕がお供をするようになったのです」といった。さらに墓参りにくるたび、いつも長い間墓に向かって話をしているという。ときおり、裕子さん今日はね…、という声が聞こえてくるということだ。 あるとき、裕子さんという人は誰?と訊いたら、あなたのもう一人のおばあちゃん、と答えたという。 私はそれを聞くと、継母はなくなった実母といつも向かい合っていてくれたのか、と思い、目頭が熱くなった
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