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作品名:菜箸 作者:じゅんしろう

第2回   2
U
 私は商社において食品事業部に属していた。そこで取引先の従業員が五十人程度で冷凍食品製造会社を経営している社長の娘の啓子と知り合った。
 当時、啓子はその会社の経理を担当していて、ふっくらとした可愛らしい顔立ちで、飾り気のない愛嬌のある娘だった。行き来している間に、お互いに惹かれあい恋愛に発展して、結婚を誓い合う仲になったという次第である。
 啓子の両親に結婚の承諾を得るために家に伺ったとき、陣内社長は開口一番、「高岡君、啓子は一人娘だから婿養子に入って、私の会社の仕事をしてもらえれば、結婚を認めよう」といわれた。
 私はここが勝負どころだと思い即座に、「貴社の仕事はしますが、婿養子はお断りします」と答えた。
 「何故、婿養子に入らないのか?」と陣内社長はいい、口をへの字に曲げて私を大きな目で睨み、腕組みをした。
 「米糠三合は、ありますから」と私も負けずに睨み返した。
 陣内社長はしばし私の顔を見つめた後、破顔一笑し、「気に入った、それでよい。娘をよろしく頼む」といって豪快に笑い声を響かせた。
 話はそれで決まった。一代で会社を築いたワンマン経営者であったが、懐の深い人で、その後の私との関係はおおむねうまくいった。サラリーマンと経営者の違いを身をもって教えてくれ、得るところが多かった。
 後に啓子の話では、結婚の承諾のやり取りについては、もともと私に好意を持ってくれていて、人物を試したということである。今はその義父も亡くなり、私が会社を継いで切り盛りし、従業員も百人を超えている。
 結婚式は東京でおこなわれることになったので、私は啓子と一緒に式の前に報告のため小樽に帰った。父の勇作は人の好さをあらわしたような喜色満面といった態であったが、継母は実に淡々とした態度で我々に接した。
 帰りの飛行機の中で啓子が、「初めてなのに、ずいぶん前から行き来しているような気持になったわ」といった。
 「緊張はしなかったのか」と訊いたら、「貢司さんの家に入るまではとても緊張していたけれど、お母様にお会いしたら、なぜかふっと消えてしまったわ」
 「どうして?」
 「なんといったらいいのかしら。そうね、厳しいのだけれど、心のなかにある暖かさが伝わってきて、全身が包こまれていくような感じがしたわ、凄い人だと思う。貢司さんの実家はお母様で持っているみたい」
 「啓子もそういう家にしたいということか?」と訊くと、「貢司さん次第ね」といって、私の手に手をかさね私の目をじっと見て艶やかに笑った。
 私の東京での結婚式のとき、継母は父や咲子と一緒に出席してくれたのであるが、式を終えて、新婚旅行に旅立つ前に啓子と二人だけで少し話をしていた。だが、どのような話をしていたのかは分からない。後で啓子に訊いても笑って答えなかった。そのうち忘れてしまっていたが、その年の暮れから、継母から毎年二膳の竹で作られた菜箸が送られてくるようになった。それはとても品の好い和紙に包まれていて、菜箸もなんともいわれのない感じの良いものであった。それを手にしたとき、少年の頃家で同じものを見たことを思い出した。それは実母がまだ健在のとき、継母が新年の挨拶に来たときに、決まって持ってくるものだった。一、二度、実母がそれを手に取りじっと見入っていたことを覚えている。無論、子供だった私には、実母がどのような思いでそれを見、またその良さは分かるはずもなかったが。
 啓子は初めのころは、送られてくる菜箸を使おうとはせず、どこかに仕舞い込んでいたようであるが、長男の英一、長女の貴子と子供が生まれてから、いつのまにかそれを使うようになっていた。新年を迎えるたび、最初の料理を作るときに、送られてきた菜箸をおろして使うようになっていたのである。それを使うようになった理由は訊いてはいない。
 そのころから啓子の料理は一皮むけたように思え、家庭の味が感じられるようになっていて、口にこそ出さなかったが、私は満足であった。
 今日の帰郷については、仕事上の重要な契約の調印があり余人には代えられないものであったが、相手方に理由を伝えて、専務でもある啓子に任せることにしたのである。
 英一はある商社の九州支店に勤務していて、貴子は京都の大学で学んでいる。咲子から無理はしないようにといわれていたこともあって、ひとり小樽に向かうことになった。


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