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作品名:菜箸 作者:じゅんしろう

第1回   1
T
 継母の澄江が脳溢血によって急死したという、昨夜の妹の咲子の電話によって、私は今朝早く一番の飛行機で、羽田空港を飛び立った。十年ぶりの小樽への帰郷だった。
 小樽駅に降り立つと、千歳空港から電話で汽車の時刻を伝えてあったので、実家に住んでいる咲子の夫である佐伯輝夫が迎えに来ていた。父の葬儀以来であるから、やはり十年ぶりの再会ということになる。二人の結婚式に会った時と、父の葬儀と今回で三度目である。実母や父の法事も忙しさにかまけて、妻の啓子に出てもらい、自分は欠席し続けていた。ただ咲子からは年に一度、家族の近況を知らせる手紙が送られてきていた。それには必ずどこかの写真館で撮った家族一緒の写真が一枚入っている。したがって、どのような家族構成になっているかという変化が分かるようになっていた。今、十九歳の大学生の奈美江という娘と十七歳の高校生の真一という息子がいる。
実家に着くまでの義弟の運転する車のなかでの会話はぎこちないものであった。無口な男であるということは、これまでにあった経験や咲子の手紙で知っていたから気にはならなかったが、朴訥ではあるが、言葉のはしはしや態度から実のある男であることが感じられた。来る時の飛行機の上空からの様子で分かっていたことではあるが、車の中から見る小樽の街には、十一月の末だというのに雪はまったくなかった。
 「雪、ありませんね」
 「ええ、今年はまだほとんど降りません」
 「地球温暖化のせいですかね」
 「と思います。もっともこのくらいの方が北国に住む人間にとっては助かりますがね。ただ、何かが狂い始めているということは肌で感じられますね、このままでよいとはとても思えません」
 会話らしい会話はこれだけであった。継母の詩についてはことさら触れなかった。ほどなく車は実家に着いた。実家は小樽で一番大きい住吉神社の近くにあり、静かな住宅街にある。古いがしっかりとした造りの大きな家である。
 葬儀は昨夜の電話で知らされていたことだが、継母の生前からの遺言で近親者のみの密葬で執り行なわれるということだった。
 遺体が置かれてある部屋に入ると、咲子は遺体から少し離れているところで年配の女性と話をしていた。私に細面の横顔を見せている姿勢であったが、十年前の父の葬儀に会った継母に驚くほど似ていた。
 咲子は父と継母との間にできた娘であり、私とはひとまわり歳の離れた二人きりの異母兄妹である。
 私は地元の高校を卒業すると、東京の有名私立大学に進み、卒業するとそのまま東京の大手商社に就職したので、咲子と実家で過ごしたのは、わずか六年ほどだった。さらに小樽に帰京したのは、私が結婚相手の啓子を紹介するためのとき、咲子の結婚式のとき、父の葬儀のときと今回の継母の死で四度目ということになる。
 といって継母と折り合いが悪かったという訳ではない。その逆であった。継母はとても穏やかで優しく品のよい人だった。私と父との再婚のいきさつについては、子供の頃のことだったのでよく分からなかったが、実母が生きていたとき、正月に新年のあいさつに来ていたことだけは知っていた。実母とは無二の親友であったと聞いている。実母が亡くなって一年余り後、夫と死に別れていた継母とを周囲の人が薦めて再婚したということである。
 その時、私は小学五年生であった。父に、あの人と結婚しようと思うがお前はどう思う、と問われたとき、たまに家に来る優しいおばさんという感じを持っていただけで、特に違和感を持ってはいなかったので、反対はしなかった覚えがある。
 継母は家に入ると、まるで溶け込むようにして家になじんでいった。私に関しては前記のごとくだったが、咲子が生まれてもそれはいささかも変わらず、ときとして最初から本当の母だったのではないかとの錯覚をしばしば覚えるほどだった。したがって、実家との行き来が少なかった理由が、無意識のうちになくなった実母への遠慮だったのかどうか、自分でもいまだに分からなかった。それにしても父の葬儀以降のことは、礼を欠き、言い訳ができないことである。


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