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作品名:姉弟の詩 作者:じゅんしろう

第18回   18
その隙間をつくとでもいうように、栄治はときおり現れては、優しい言葉を掛けていったり、あるときなどは、家族三人を、今評判になっている旭山動物園に連れて行ってくれたりした。栄治からそのことの提案があったとき、絹子と恭太が喜んだので、普段どこにも連れて行ったことがなかったこともあり、陽子も仕事のやり繰りをして出かけていったのだ。
 陽子は栄治に初めて会ったときから本能的に嫌っていたが、知らず知らずのうちに栄治に対して心のなかの氷が少しずつ解けていったのである。私の勘は間違っていたのかしら、本当はそんなに悪い人ではないのかしら、と思い迷うようになっていた。
 そうしたある夜、ガソリンスタンドの仕事を終え、帰宅についていたときのことである。明日は久しぶりに丸一日休日の日であった。少し浮かれていたのかもしれない。ゆったりとした気持ちになっていて、わずかな開放感に浸っていた。秋にしてはめずらしく暖かな夜だった。夜風が肌に心地よかった。ガソリンスタンドは国道沿いにあり、かなりの車が行き来していた。その車の音さえ楽しみながらゆっくりとした歩調で歩いていた。
 と、一台の車が陽子の横につけられた。こういうことは時々あったので無視して歩いていったが、陽子さん、という声に振り向くと、黒の背広姿の栄治だった。
 栄治はスタイルがよく、夜道で見ると、テレビタレントかと思わせるものを持っていた。陽子が何も言わす凝視していると、「友人の葬式の帰りでね」と言って少し寂しげな表情を見せた。
 「まあ、そうでしたの」
 「滅入って車を走らせていたら、陽子さんらしき女性が歩いていたので、それで」と言って、陽子をじつと見た。
 陽子は四年前に亡くなった政一のことを思い出していた。
 葬儀のときは、ただ気丈に振舞っていたので、栄治は無論、参列してくれた人々の表情など覚えているはずもなかった。この人もこのような寂しい顔をするのだ、と心の中で呟いた。
 「陽子さん、よかったら少し付き合ってくれませんか」と、栄治は陽子の目を見て言った。
 今までは常に警戒心を解いたことはなかったが、心が動かされた。家では子供たちはすでに寝ているはずだし、少しくらい遅くなってもいいわね、と自分に言い聞かせた。
 「ええ、いいわよ」と、陽子が答えると、栄治は手馴れた動作で後部ドアを開いた。
 陽子が車に乗り込むと、栄治はすぐに発進させた。そのとき陽子は多少の不安を覚えたが、何か抗えないものに操られた思いだった。栄治は何もいわずに車を走らせている。車の中はエンジン音だけが、軽やかに響いていた。


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