専業主婦だった陽子にはそれからが大変だった。 うかつにも、生命保険は小額のものしか掛けていなかった。 子供が生まれて数年くらい、暮らしていけるだけの金額だった。政一だけではなく、自分の家族の誰かが死ぬなどということは、まったく考えていなかったのである。 これからのことを思うと、強い焦燥感に駆られたが、父親を頼ろうとは思いもしなかった。 その年の暮れに、男の子が生まれた。政一の希望どおり恭太と名付けた。 子育てに追われる日々が続き、あっという間に二年が経った。 貯えがなくなる前に生活の糧をえなければならない。恭太が保育所に預けられるようになったので、働きに出ようと就職先を探したが、三十歳を過ぎた陽子にはなかなか希望どおりの働き口は見つからなかった。 あるとき、小さな会社の正社員で事務の仕事の口があったので面接に行った。その初老の経営者は陽子の境遇を聞くと、あからさまに好色な目をしたので、厭なものを感じ自分から断った。 収入のために、水商売で働く気はなかった。あくまでも堅い仕事にこだわった。 結局、スーパーマーケットのパート勤めを始めた。 恭太がもう少し大きくなったら、夜間、別な仕事もするつもりでいた。 その間、栄治が四十九日だの、一周忌だのと、節目に訪ねてきた。初めのうちは、何かいやらしい思惑があるのかと警戒していたが、小さな仏壇にお参りすると、一言、二言優しい言葉を掛けてあっさりと帰っていった。 一年後、夜間にガソリンスタンドでも働き始めた。女性にはきついのではないかと言われたが。無理に働かせてもらった。トラックの客が多かったが、外見の厳つさとは違い、案外と優しい男たちだった。たちまち常連客の人気者になった。彼らはからりとした接し方をしてくれたので、気持ちのよい働き口だった。 しかし、政一の保険金の大半が消えていた。 昼はスーパーマーケット、夜はガソリンスタンドのパートの収入では、親子三人の生活はぎりぎりであった。それでも、そのなかでわずかずつではあるが将来のために金を貯めていった。 絹子も小学生になり、恭太も来春には幼稚園児である。貧しいが、ある意味では充実した生活といってよいかもしれない。 しかし、陽子は自分でも気がつかないうちに、少しずつ疲れはじめていた。 ときには、人肌が恋しいと思うこともあり、また、このままでよいのか、これからどうなるのかという不安と苦悩が、心の中を侵しはじめていた。
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