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作品名:路地裏の猫と私 残影編 作者:じゅんしろう

第2回   2
何処かの家で飼われている、箱の中に飛び込んだり滑り込んだりして遊び、体を洗ってもらって手入のゆきとどいた、ぷっくりとした丸顔の愛嬌のある飼い猫でもなければ、駅長に出世して、多くの人々を呼び込み、体を撫ぜまくられている、でつぶりと太って貫禄のある人気ものの猫でもない。人に警戒心を解くことのない無愛想なノラ猫なのだ。頻繁に餌を与える人にさえそうだから、気まぐれに餌を与える私に対しては、無論、無愛想そのものである。食ってやるという態度だ。が、私は思う。それなのに何故に私を引きつけるのか、と。私はここで、無愛想の愛嬌なるものが存在するのではないかと、考えるにいたった。人間も同じことで、やたら微笑み揉み手をする人よりも、毅然とした態度の寡黙な人に、妙に引き付けられることがある。ごく稀に笑みなど見せられることがあると、ころりと参ってしまう、あれである。俳優でいえば、高倉健といったところか。ノラ猫も然り、ではないだろうか。そこまで考えていたら、あなたご飯よ、という妻の声に我にかえった。連れ添って三十六年、糟糠の妻である。近頃、妻が目の前に居るのに、それを感じないことがある。これが、お互い空気のような存在になったということか、と思った。無論、口にだしたことはない。朝食を無言で食べるだけだ。
師走も半ばを過ぎ、今年ももう終わりだ。年が明ければ、乳癌の手術から丸四年である。幸いにも癌が再発することなく無事過ぎている。ただ、この四年間で路地裏に変化があった。借家は一棟の二家だったのが、半分が取り壊され、また、ぽっかりと空き地ができたのだ。その分さらに明るくなり、路地裏のしつとりとした雰囲気がまたまた失われてしまった。そのせいか、もう路地裏で遊ぶ子猫の様子を見ることはなくなっていた。そして、多くの馴染みのノラ猫の姿が消えてしまった。猫は死ぬ時、その姿を見せないことが多いという。好きだったポン太もいつのまにか見えなくなり、スネ子もそうだし、団十郎や藤十郎も姿を現すことはない。そして、犬のシロも老衰で死んだ。幸いなことに世話していた中年の女性に看取られて死んだ。本当の飼い主に断って、動物専用の霊園で火葬し永代供養をして弔ったという。いまは、犬小屋などはきれいに取り払われて、跡形もない。仲間のノラ猫も何処かにいってしまってその姿を見ることはない。この路地裏界隈は寂しい限りになっていた。馴染みなものがいなくなる寂しさは、人間だけに対してだけでなく動物に対しても同じだ。猫ハウスの住猫はスネ子の何匹かの子孫がいるだけだ。ここで生まれた子猫も、ほかの居心地のよい所へ引っ越ししてしまうようだ。かつて、子猫たちで賑わったことがまるで嘘のようだ。小樽は人口減で街は櫛の歯が欠けたように空き地が目立つが、我が路地裏もそのようなところかと思ってしまった。


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