しばらく、ぼーっとした頭で、天満宮の境内に入った。天満宮は高辻家と、当然繋がりがあり、総長に今度の計画が上手くいくようにと、秘密裏に代参を頼まれていた。といっても本堂の中には入らず、外から参拝をした。あくまでも、友親と総長の極秘行為で、ここでは友親は存在しないことになっている。 後はすることがない。翌朝の上りの船便に乗り、京の都に帰るだけである。また、八軒家まで引き返した。次の朝の便まで、丸一日ある。それまで、ここで宿を取り、一眠りすることにした。船の中でろくに眠っていないためと、一昨日からの謀議の疲れのため、部屋に入るとすぐに、外が騒がしいにも係わらず寝入ってしまった。起きたのは夕方だった。 夕餉を終えると、友親は象の見聞を記録するため、持参した簡易の筆記用具を取り出し、たびたび筆を止めながらも、懸命に、幸徳井家の命運をにぎるやも知れぬ、垣間見た象の容姿を箇条書きに書き記した。それをもとに、帰宅した後、日記に書き記すことになる。一頭の象に家の将来を託すなどと、笑うなかれ。俗に、公家の位倒れといわれる位、公家の家計は逼迫していた。地下官人といわれる、商人に金をもらって養子にし、実質的に官を売る家もあるほどだ。書道、華道などの家元としての副収入があるのはいいほうで、高辻家は、天満宮と繋がりがあるため、なにかと実入りがあるようだ。幸徳井家は陰陽頭の地位を失うと、家禄はわずか三十石であり、その経済的困窮は極まっていた。わずかに、出身地である南都奈良の興福寺などの社寺との関係で、細々と生計を維持していたに過ぎなかった。 だが、土御門家は梅小路に陰陽道の研究所を兼ねた、広大な敷地を持っている。家禄は百七十七石であるが、全国の陰陽師の支配権を持ち、そこからあがってくる収入で裕福である。友親は象の特長を書きとめながら、おのれ泰福め、と歯軋りしたことだった。 翌早朝、友親は八軒家の喧騒に見送られながら、伏見へと淀川を遡って行く三十石船に乗った。下り船と違ってやや空いていた。夜眠りながら行くことのできる夜便が人気なのである。上りの船賃は百七拾二文と、下りの二倍半である。伏見へは夕方到着予定で、ほとんどの流域で船頭や人夫によって綱で引かれていくため、下りの二倍の時間が掛かる。京の都に着くのは夜遅くになるだろうから、顔を見られる恐れは少ない。このことも計画のうちである。また、枚方で食らわんか舟が寄ってきた。例によってひどいがなり声である。友親は、おとなしく握り飯と酒を買い求め、食べて呑んだ。食べながら、このように外で食したことがあったか、と思い返した。あるわけがなかった。しきたりや決まりごとにがんじがらめになっている公家の生活と比べて、行きかう船に次々に襲いかかるようにして船を寄せていき、猥雑であるがかれらの生き生きとした行動を見ながら、一瞬だが羨ましいと思った。わしはいったい何をしているのか、と思いかけたが、我が家系には歴史があり、それを守り伝えなければならない、そのことがわしの定めじゃ、と首を振り、また握り飯をほおばった。
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