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作品名:官位を授かった象 作者:じゅんしろう

第5回   5
―よほど、坊城家が憎たらしいとみえる、わしも、もうすぐ還暦じゃ、なんとか息子の保篤、いや、孫の代には陰陽頭を取り戻したい。その為には、この老骨に鞭打ってでも、ひと働きせねばなるまいて。 と、腹を括った。
まずは、極秘裏に肝心の象を偵察することが肝要と、総長は旅費の金子の袋を、気前よく友親に渡し、このことは二人だけのことと、念を押した。つまり、ひとり大阪に行け、ということだ。
それにしても、人でいっぱいだのう、七十二文という高い船賃を払っているのに。両方から商人風の男に身体を押されて、友親は被っている茶巾のずれを直しながら思った。
三十石船は、全長五十六尺幅八尺三寸、米が三十石積めるからそう呼ばれている。別名、家書船ともいわれているが、三十石船のほうの通りがいい。船頭四人、乗客が定員二十八人の苫で屋根を葺いただけの乗り合い船である。夜、船中で一眠りしている間に朝方着くということで、特に商用をするものに人気があった。今夜は満員であった。が、不衛生この上ない。友親は虱に悩まされ、あちこち身体を、ぼりぼりと掻くはめに陥っていた。それでも、それにもやや慣れ昨夜総長との密議の疲れも重なって、うとうとし掛けたときだった。
突然耳もとで、飯くらわんか、餅くらわんかとの怒鳴り声で、叩き起こされた。伏見と大阪の中間点である枚方には、おそろしく横柄で乱暴な地言葉を使う、物売りの船があり、俗に食らわんか船といわれている。真夜中で乗客が寝ていようが、相手が武士であろうがお構いなしで、ほとんど押し売りといってよい。が、誰も文句は言えない。その昔、大阪夏の陣で、徳川家康が真田幸村に追い詰められたところを助けた恩賞に、武士に対しても商いかまいなし、とのお墨付きをいただいたからである。また、悪霊を追い払うために、悪態をつき旅の無病息災を願うという風習があり、喜ぶ旅人もいた。友親も致し方なく、餅を買った。びっくりしたために目が冴えて、餅を食いながら、もう眠るのは諦めるしかないなと覚悟を決めたことだった。
朝もやの中、漸く八軒家の船着場に着いた。名前の通り、八軒の船宿がある。そこは多くの人々が忙しく立ち回っていて、まるで喧嘩のような怒号が飛び交っていた。すこぶる荒々しく、喧騒である。
聞きしに勝る賑わいだのう、と思うまもなく友親は人に揉まれ、そこから弾き出された。天満橋を渡ると、天満宮の参道である。まだ早朝というのに、思いのほか、人々が行き来していた。どうやら、象が収容されている仮小屋へと続いているようだ。
家々はまだ新しい。じつは五年前の享保九年に、妙知焼け(金屋治浜衛の祖母妙知宅より出火)と呼ばれる大阪の町の三分の二が灰塵に帰す大火があり、天満宮も延焼していたのである。ようやく復興されたばかりなのだ。


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