20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:官位を授かった象 作者:じゅんしろう

第2回   2
高辻家は代々、文章博士で大学頭に任じられている家柄であった。家業は紀伝道(主に中国史)で、天皇の待読を務めていた。が、問題は出自にあり、太宰府天満宮で有名な左大臣菅原道真の末裔なのである。総長はなにかの折りにつけ、そのことを遠まわしにほのめかす。我が家系は、左大臣を輩出し、神に祭られた家柄なのだと。当然、讒訴した藤原時平を目の敵にし、だいの藤原氏嫌いである。無論、直接口にはしない。今年四十をいくつか越えたばかりの男盛りで、公家にしては少々脂気の多い顔にも、毛ほどにも見せない。摂家、精華家、大臣家の藤原系の堂上家に対しても、慇懃な態度は崩すことはない。この男も処世術を心得ていた。
 ようやくのこと、総長が長身の身体を座敷に入れた。顔は白く塗りたくっているが、本来は浅黒い肌だ。目も大きく口も大きい。大振りな顔つきで、とても道真公の末裔とは見えない。どこかの博徒の親分といったほうが通りがよいくらいだ。それが上座に着くと、手招きをした。もつと、ちかくに寄れ、とのことだ。友親が寄ると、さらに耳を寄せろという。言われるままに耳を寄せると、総長は扇子をあてがい囁いた。
 「千載一遇の好機が訪れたぞ、友親」
 「はて、どのような?」
 「あんはんも、承知であろうが。南国より象とゆー、げてものがわが国に来たことを」
 「おお、それならばわいも聞き及んでおるんや。たいそへん大きなげてものとか」
 「うむ、そのことよ」
 その象とは、享保十一年に将軍吉宗が唐人に発注したもので、二年後、唐の商人鄭大威によって、雄雌二頭の象が長崎に運び込まれた。雄六歳、雌五歳で、象の寿命は六十歳といわれているから、まだ子供だ。江戸に向かう前に、日本の風土に慣れさせるため、その地で飼育されていたのであるが、その間に雌象が死んでしまったという。甘いお菓子を食べ過ぎて舌に悪性の腫瘍が原因とのことである。享保十四年三月、残った雄象がいよいよ江戸に向かって出発した。過去に幾度か象が来日したことがあるが、(はっきり記録が残っている初めが、室町時代の応永十五年、四代将軍足利義持のときである)一般庶民は見ることはなかった。長崎から続く沿道の民衆はそれを見物するため、大騒ぎだということだ。その噂は日本国中を駆け巡っているといってよい。
 総長はいちど身を正すと軽く一礼し、「じつは、帝(百四十四代中御門天皇)が御覧あそばしたいとのことなのでおじゃる」と、恭しく言った。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 4975