やがて、首筋に跨った象遣いに操られて、象がしずしずと宮中に参内した。ただ、白象ということになったため、慌てて顔全体に白粉が塗られていた。ある殿と殿をつなぐ廊下の下に待つようにと指示された。帝がたまたま廊下を渡るときに、謁見するという形を取ったのである。少々待たされた後、中御門天皇、祖父である霊元法皇以下、百官がぞろぞろと現れた。初めは象を無視して通り過ぎようとし、係りのものに促され象に気がついたというふりをして見た。途端、ほぼ全員が、ほーっ、と声をあげ口元を隠したことだった。そのとき、象が前足を折り頭を下げ、お辞儀の仕草を示した。今度は全員が、また、ほーっと歓声をあげた。公家の某が、やはり、高貴な帝の前では、げてもんといえども分かるさかいおほなるな、と言うと、ほかの百官も全員相槌をうった。単に象遣いが芸をさせただけにすぎないのだが、公家たちは知らない。 そこで、笹の葉や若竹を与えたり、くねん母(みかんの実のようなもの)を器用に食べる様子に感心し、たくさんの饅頭を与え、水を鼻に吸い込み、身体に吹きかける様子に感嘆の声を上げたりした。よほど感銘を受けられたのであろう、天皇、法皇は歌を詠まれている。 中御門天皇のお歌 時しあれば ひとの国なる けだものも けふ九重に みるがうれしき 霊元法皇のお歌 めずらしく 都にきさの 唐やまと すぎし野山は 幾千里なるかな きさとは、象の古語である。 翌二十九日に、晴れて官位を授かった象一行は京の都を離れた。 沿道を埋めた民衆は、並の大名以上の官位を持っている象にたいして、土下座して見送ったということだ。 象様一行は、悠々と一日三里から五里の行程で、中仙道を進み、美濃路をへて東海道を下り、一路江戸を目指した。 将軍様に献上するというだけでなく、大名級の官位を持つこととなった象に対して、粗相があっては大変と、幕府からの通達はさらに詳細をきわめた。それだけ、沿道の人々は大変なのだが、それ以上に象を見たいのである。街道はどこも大騒ぎだったということだ。 高辻総長は、それから十二年生きたが、道真の末裔をほのめかすことがなくなったということだ。 幸徳井友親は、その後体調が回復せず、床を離れることはなかった。そして、二ヶ月足らずの六月二十日に亡くなった。 ただ、臨終のとき、なにかの夢を見ていたのか、食べ物を食べているように口をもぐもぐさせ、食らわんか、と一言言うと、息を引き取ったということである。家人の誰もが、その最期の言葉の意味を解さなかったが、その口の端に、笑みが浮かんでいたということだ。
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