それを聞いて、トキは、ひどいことをと、哀れに想った。昔、この村を舞台にした中津高二郎監督の映画、深い山脈のことを思い出した。その主演女優の平節子のはかなげな容姿と重ね合わせた。映画の筋は、東京から湯治温泉宿に駆け落ちした男女が、最後は引き離され、ヒロインが明武谷川に身を投げるというものだったが、巡回映画で、二の里の小学校で上映されたとき、トキも見に行き、涙でハンカチをおおいに濡らしたものだ。この映画は、今まで見たものの中で、一番思い入れがあった。なぜなら、トキは若い農婦役のエキストラで、ほんの一瞬だが、出演していたのである。ヨシとシゲも出ていた。それから三人はいままで仲良く近所付き合いをしているのだった。 並吉と好子のことを如何にかしてやりたいと思ったが、どうにも出きるものではなかった。ただ、気をもむだけだった。 そして村長選挙の火蓋が切って落とされた。 今回は、現村長と前村長のほかに、かつてないことだが、二の里から第三の候補が立候補した。その候補の名を、弥吉から初めて聞いたとき、トキは、あやうく声を上げそうになった。村井太助といい、小学校の同級生だった。そして、片思いだったが、淡い初恋の相手だったのである。村井太助は、小学校を卒業すると、県営の旧制中学に入るため、この村を出た。それから、会うことはなかったが、その後の消息は断片的な噂で聞き知っていた。中学を出ると旧制高校に進んだ。このことは、村始まって以来のことだった。だが、父親が米相場に手を出して失敗し、経済的に困窮したため中退した。その後兵隊に取られ、戦後この村に戻って、雑貨屋を営んでいた。 ―あの太助さんが…。 トキは、数年に一度くらいのことだが見かけることがある。太助の渋みがかった、横顔を思い浮かべたことだった。 選挙の初日は日曜日と重なり、トキたちの店の第二回目の開店の日でもあった。弥吉は選挙の出陣式とかで、朝早くから家を出ていた。店の準備が整い開店すると、今日は農作業を休むことにしていたため、後はすることがなかった。家で家事をこなしていたが、どうにも店が気になって、落ち着かなかった。車の通り過ぎる音が聞こえると、どきり、とした。そのため、ついに早めに昼食を摂ると、農作業に出ることにした。なれるまで、仕方ないことだろう、と思い苦笑せざるをえなかった。 支度をして、家を出たときだった。店の前に一台の乗用車が止まっていた。中年の夫婦が店の前で、品物を手にとって話しているのが見えた。離れているため、会話は聞こえることはないが、トキには、美味しそうね、と言っているように思え、顔が自然とほころんだ。また、うきうきとした思いで、家をあとにした。趣味と実益を兼ねて、と言う言葉があるが、これもその変形だろうと考え、大げさにいえば、人生が豊かになったような心持だった。
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