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作品名:明武谷村の女房たち 作者:じゅんしろう

第16回   16
家に帰ると、弥吉がそれを待ちかねていたように、選挙事務所に行った。いよいよ、投票日も目前で、選挙は佳境に入り、熱を帯びていた。だが、トキにはこれからなしとげなければならないことがあった。早速、或る家に電話を掛けた。
翌日の昼前、トキは温泉宿行きのバスに乗っていた。弥吉には、どうも、腰の具合がよくないから、温泉に浸かって来ると言っておいた。弥吉も選挙のことで、気もそぞろになっていたのだろう、すぐ行って養生して来いと言い、自分はこれ幸いと、選挙事務所に行ってしまったほどだ。
バスに乗り込む前にふきから電話があり、昨夜、首尾良く二人を寺に連れて行くことに成功したと連絡があった。そのとき和尚は、若い二人に向かって、寺の中で淫らなことをすれば、仏罰が下る。くれぐれも、そのような間違いをせぬように、と、トミの家のことがよほど悔しかったのか、自身のことを棚に上げて、くだくだと言ったということだ。そのときの光景が目に浮かぶようで、トキはバスのなかで、くすくすと笑った。
明武谷温泉は六、七百年ほどの長い歴史があり、宿は重厚な、しっかりとした木造建築で、どっしりとした趣きのある雰囲気を醸しだしている。トキは、毎年湯治に来るが、ここでの骨休めがなによりも楽しみであった。宿の中に入ると、すぐ馴染みの女将が出てきて、すでに、お待ちになっております、と言って、部屋に案内してくれた。
そこには、静が待っていたのである。
「お久しいわね、トキさん。四十年以上になるだね」
「ええ、そのくらいになるだね、静さん。長い時間だこと」
二人はテーブルを挟んで、二人の間に横たわる、お互いの永い風雪を愛しむように見つめあい、挨拶を交し合った。
昨夜、トキが静以外のものに知られたくないため、偽名で電話を掛け、静が電話に出ると、小学生の同級生のトキであることを明かし、好子のことで二人きりで話したいと伝えると、意外なことに、静はあっさりと承諾し、この宿で会うことを指定したのだ。
トキは、ふきから相談を受け、いま、さる所に娘さんたちを匿っているが、おせっかいながら二人を何とかしてあげたい、静さんはどうか、と、ずばり訊いた。
「それは、おらも望むところよ。だから、娘を逃がへらの」
トキは、意外なことを言う静を、まじまじと見た。
「おらの二の舞をさせたくなかったから…」
トキは、寂しそうに言う静のその言葉に、はっ、と、ある記憶をよみがえらせた。


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