信濃の明武谷村は山深い里である。谷を走る川の名を、明武谷川という。川を挟みこむ両岸の山々は猛々しい。ただ、何箇所かが、ぽっかりとひらけていて、そこに人々が群れ、集落が形成されていた。谷の奥まったところに、一軒の湯治温泉宿があり、農閑期には村人が泊りがけで湯治に来る。辺鄙な秘湯ともいえるものだが、客は村人ばかりかといえば、そうでもない。戦後まもなく或る小説家が、この温泉宿を主な舞台にした、深い山脈という悲恋小説を発表し、さらには映画化され大ヒットした為に結構世に知られていて、それから数十年たった今でも、秘湯ブームなどにより、ほどほどに都会からの客が来る。 だが、この小説家は、村人にとって有り難くない名称を残した。ぽっかりとひらけた地域が、空から見ると、丁度、川によって串刺しされた団子のようだろうから、別名、串団子村と名付けたのであった。当時、村人は八百年も続く由緒正しい村名を侮辱するものだと、大いに怒った。が、小説がベストセラーとなり、映画が大ヒットして、人々がやって来ると、誰かが、茶店風の団子屋を開き、 御手洗団子が評判となり大いに流行った。こうなると、別の地域の誰かも、同じように団子屋を開き、こちらも御手洗団子が評判となり大いに流行った。先に出した店は甘口の子供向けで、後の方は醤油の味が利いた大人向けである。今では、元祖明武谷団子と本家明武谷団子と称して、覇を争っている。といっても、家族経営の小さなものであるが。このように、村に幾ばくかの金が落ちるようになると、村人は怒りの矛をおさめた。それでも、村人の間で串団子村といい合うことはない。あくまでも、由緒正しい明武谷村である
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