良寛を見続けている忠精に、随行している貞左衛門が床机を設けた。忠精が腰を落とすと、良寛が初めて目を開き、その柔和な目を忠精に向け軽く会釈をした。だが、一言も発しなかった。 やむをえず、忠精のほうが話を切り出した。 「和尚。我、牧野家の菩提寺の住職になられよ。予が迎えに来た」 忠精は用件のみ、伝えた。だが、これでどうじゃ、という想いがあった。 しかし、やはり良寛は沈黙したままだった。 忠精もそれ以上は言葉を発せず、黙って良寛の返答を待った。社務所のなかは、静かな時がながれた。外から、ひぐらしの鳴き声が聞こえてくるだけだった。 やがて、良寛は傍にある文机に向かうと、半紙に筆を走らせ、それを忠精に差し出した。 それには、 焚くほどに 風がもてくる 落ち葉かな と、書かれていた。 忠精は一読すると、良寛を楽にさせてやろうという、独り善がりと、己のなかにあった、わずかな傲慢を恥じた。そして、招聘の愚を悟った。 だが、このまますごすごとは引き下がれない。忠精は、良寛に紙と筆を求め、筆を走らせた。それを良寛に渡した。 それには、 来てみれば 山ばかりなり 五合庵 と、書かれていた。 良寛は一読すると、微かに笑みを浮かべた顔を忠精に向けた。忠精の負け惜しみではあるが、諧謔を認めた表情だった。忠精もそのことに満足した。 「和尚。御身を大切にいたせよ」と、懇ろにいたわりの言葉をかけ、社務所を出た。 ふたたび、馬上の人になった。そのとき、目の端に、さきほどからの村人たちのほかに、木立のなかから、こちらの様子を窺うようにしている数人の童を認めた。そのまま馬を進めたときだった。 後ろから、「良寛さあー」という童たちの声が聞こえ、走り去る足音が聞こえた。 思わず馬を止めた。振り向くわけにはいかなかったが、予が帰り行くのを待ちきれなかったのであろう、良寛との遊びを待ちわびていた童たちが社務所に向かっているに違いない、と確信した。 忠精はまた馬を進めたが、童たちの、良寛さあー、という呼び声が、一陣の涼風となって懐に入り込むのを感じた。 あの童たちから和尚を取り上げるわけにはいかぬな、と想った。 わずかに表情を緩めたが、それは、ほろ苦さをともなうものだった。 忠精主従一行は、夕刻、城に帰りついた
完
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