猫ハウスの発泡スチロール製の住まいには、雨の日など子猫たちが仲良く寝ていたりしていたのであるが、ある晴れた朝、縞模様の猫が猫ハウスの入口から頭をだしていた。気持ちよさそうに眠っているように見えた。夕方にまた見てみると同じ状態だったので、初めて死んでいるのに気ついた。調べてみると二匹死んでいた。原因が分からなかったので坂本さんに連絡すると、すぐに飛んできた。 「どうしたのでしょう?」と訊くと、「誰かが猫いらずなどの毒を盛ったりすると、口から泡をふいているが、そのような症状はないのでよく分かりません」とのことだった。猫の伝染病などいろいろあるという。坂本さんは保健所に持ち込むために引き取っていった。 何日かたって、シャム猫模様の子猫のなかで唯一触ることができた子猫が、鼻をぐずぐずさせていたと思っていたら、姿を見せなくなり、二、三日後、草むらに銀蠅が多く飛んでいたので覗いてみたら、その子猫が横たわって死んでいた。 私が保健所に持ち込んで、係員に死んだ原因を訊いてみた。集団で暮らしていると、一匹が風邪をひけばすぐ伝染して蔓延し、体力のない子猫などが死ぬという。ノラ猫は猫エイズなど、いろいろな伝染病で死ぬことが多いということだった。 さらに猫の突然死が続いた。あるいは何処に行ったのか見当たらなくなっていたり、あるいはたまにしか姿を見せなくなった猫もいて、気がつくと、この路地裏には数匹の猫だけになっていた。この路地裏は急に寂しい景色になった。小雨が降る日などはとくに強く感じられ、ついこの前までの賑わいが嘘のようだった。 猫の寿命は人間に比べてずっと短い。その短い命すら全うすることができないノラ猫たちを身近に見てしまって、いっそう哀れに思った。 いままた、路地裏に残った牝猫の腹が膨らみだしている。また春のような光景が再現されるのかもしれない。しかしながら、これかせ秋から冬に向かう。子猫の生存はさらに厳しいものになるだろう。素直に子猫たちが遊び戯れる光景を思い描くことができなくなっていた。 ある日の夕方、ノラ猫の生態を観察すべく、少しづつ書きためていた猫中記を燃やすことにした。これ以上書く気にはなれなくなっていた。私のエゴではないかと思えてきたのである。玄関先で燃やすため、水を張ったバケツを用意するなど支度をしていたら、少し離れたところで、生き残っている何匹かの猫が私のすることをじっと見ていた。私は猫中記の原稿を燃やしながら考えた。仏教の浄土教では、人は亡くなれば阿弥陀如来の西方浄土に行くという。猫は何処へ行くのであろうか。陽が沈む西の方へは行ってもらいたくはなかった。たとえば、猫如来というものがおり、日が昇る東の方へいってほしい、光がいっぱいの東方浄土へ。そう考えて顔を上げてみると、猫たちはすでに一匹残らず路地裏から消えていた。 人間の供養の真似事などに付き合っている暇なぞないわい、といわれているようだった。
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