借家には風呂がないので、すぐ近くにある三富湯という銭湯に通っていた。冷泉を沸かした湯であるが、効用は温泉と変わりがなく、実際身体が温まる。番台のおかみさんに屋号のいわれを訊くと、勤勉・信用・健康ということだそうである。先代の家訓で、勤勉に働けば人々から信用され家の者が心身とも健康で過ごすことができるということだ。功成り名を遂げた偉人でなくても、世の中のことをよくわかっている市井の人々がいるものである。そのような思いを感じるのも癌患者になったからであろうか。ほかの客に左胸がないことで奇異に見られるかと思ったが、それは杞憂だった。常連客で風呂で話を交わすことがある須貝さんという人が、男性のいろいろな手術跡は珍しくないとのことだ。ほかの人も誰も何もいわない。もっともそれが大人の態度というものではあるが。それにここに通う客は少なく、しばしば貸し切り状態になり広い湯船を一人占めということがあり、まことに快適であるので、ここは捨てがたいのだ。もっとも、銭湯経営ということでは困ることであるが。 少しずつ体力が回復してきたとき、歯の具合がおかしくなってきた。物を噛むとき、歯に響き痛みが伴ってきたので、近くの歯科にいくことにした。その歯科は、家の路地を上がっていくと広いバス通りに突き当たり、その向かい側にある鳴門歯科というところである。じつは思いがけないことがあり、ここの先生の父君と私が同室になっていたのである。以前歯の治療で顔は見知っていたから父君を見舞いに来たとき、お互いの顔を見て驚いたという次第なのだ。世間は本当に狭いものである。父君の病名はガンだと思うがえて訊かなかった。そのかわり、その息子の先生からは私の病名をねほりはほり訊かれ難儀した。 その路地の途中に倉庫があり、その隅に犬小屋がある。シロという老犬が繋がれていて、通りかかるとよく吠えられたものだ。飼い主が放っておいて、散歩など全然させていないということである。近ごろ、無責任な飼い主が多いと聞いている。 しかし、我が路地裏のノラ猫を世話している女性が見かねて、飼い主と交渉し、散歩に連れていくようになってから全然吠えなくなった。 散歩に連れていく現場に出くわしたことがあるが、シロは尻尾をびゅんぴゅん振って、嬉しさをからだ全体であらわしていた。 その路地を上がっていき犬小屋の前を通りかかると、小屋が二つ増えていて、シロのまわりには何匹かのノラ猫が悠々と寝そべっていた。えっ、と思い、立ち留まってよく見ると、シロは何事もないようにやはり寝そべっている。シロとノラ猫はお互いの存在を気にも留めていないようだ。 なにかあったのかと思ったが、そのまま歯科に向かった。歯は思いのほか悪く、しばらく通わなければならないようだ。 癌の後は、今度は虫歯かと思った。が、癌は昔のように不治の病とはいえなくなったが、三大成人病のひとつであり、生活に重大な支障をきたす。しかしである。虫歯になるとはなはだ具合が悪い。物を食べられなくなるだけでなく、痛みにいらいらし、何事も手につかなくなる。物を食べられなくなる事は生きていけないという事なのである。今テレビで大食い選手権なるものがあるが、流し込むだけできちんと咀嚼してはいない。早死には必至である。従って日々の生活において、虫歯も立派な病気のひとつではないかと考えた。私にとっては大いなる発見であった。これも癌を患ったことによる効用かと考えた。
|
|