私は妻がいない間に着替えをしょうと思い、三面鏡がある次の間に入った。服を次々に脱ぎ、上半身裸になった。 手術跡がくっきりと映しだされた。まだ、抜糸はされてはいないが、太くて長いミミズが這っているようだった。あらためて、手術したのだと思った。 着替えを終えて居間に戻ったが、しばらくの間、生々しい手術跡が頭から離れなかった。今後、この手術跡と一生付き合うわけである。 癌告知を受けてもさほどショツクは受けず、むしろさばさばしていたが、手術跡を見て、現実をぶつけられたような思いだった。 妻が帰ってくるまで、ぼんやりとしていた。その間、どのような顔をしていたのであろうか。たぶん、妻には見せられない顔をしていたのではないだろうか。意気地がないなあ俺は、と思った。 「ただいまー」と妻の元気な声がした。私は腹に力を入れて、深呼吸をした。 週末はゆっくりと静養した。手術跡がうずくので、あまり動くことはできない。妻はかいがいしく世話をしてくれた。子供たちから次々と電話が入った。私が元気な声なので、二人とも安心したようだった。来なくてもいいからといっていたので、来ることはなかったが、見舞金を送ってきた。すまんなあ、というと、決まって、なにいってんのよ親子じゃない、といってくれた。普段、何事もなければ分からないが、何か事が起きると家族の団結はかたいという。本当だなあ、と思うと同時に、少し老いを感じた。 週が明け、妻が一緒に行くというのを制して病院には一人でいった。 綿貫医師に会うと、あっさりと癌細胞が血液の中に入っているといわれた。抗がん剤治療を行わなければならない。 私がおもわず、「髪の毛、抜けるのですよね」と訊くと、「抜ける人もいれば抜けない人もいます、五分五分です」と例によって明るい口調でいう。 今後、二週間のクールで六回の予定である。一週間後、入院ということになった。 診察室を出るときまた、「頑張りましょう」といわれた。「はい、よろしくお願いします」と答えるしかなかった。 今年は例年にないくらいの暖冬で雪はあまり積もってはいない。今日も春のような日差しだったのが救いだった。 家に帰りつくと、玄関先にポン太がいた。愛嬌のあるタヌキ顔の猫である。無性に抱きしめたいと思い、手を差し伸べようとすると、さっと逃げ、私を見た。 ああ、ごめん、ルール違反だったね、と心の中で謝り、ポン太をじっと見た。お前はお前で一生懸命生きているのだね、おれも頑張るわ、と心の中でつぶやき、「ただいまー」と声に力を込めていいながら、玄関の戸を開けた。
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