そこへ救いの手が現れた。碁会所の席亭の谷藤さんと囲碁仲間の荒田氏がつれだって見舞いにきてくれたのだ。二人は鳴海と私の四人での、坂道を行くのメンバーなのである。 以前、司馬遼太郎の街道をゆく、という紀行文から思い立って、小樽の坂道を訪ね歩く会を作った。もう何回かの回を重ねている。最後は近くの居酒屋などで、軽く一杯ということになるが、それは清談といえるもので、無上の楽しみといえるものである。 「やあ、どうですか」と谷藤さんはいつもの温和な表情でいい、にっこりと笑った。 「癌と聞いて心配しましたが、顔色はよさそうですね。これは、この前描いたものですが」といって、小さな水彩画をくれた。荒田氏は、市展などに次々に入選するなどなかなかなものなのである。 「ありがとうございます。いや、癌といっても男には珍しい乳癌ですからね。女になり損なったのではないでしょうか」 「でも、りっぱにお子さんが二人もうけているではないですか」と荒田氏がいった。 「生き物の中には、牡牝両方の機能をもったものがいるといいますから、私なんかはそうかもしれませんね」というと、三人で大笑いになったが、妻だけが私を睨んだ。 ほかの患者たちが一斉にこちらを見たので、我々は首をすくめ、ひそひそ声になった。 私が昔と違って、簡単に癌を宣告されたといったら、それだけなおりやすくなったということですねねと谷藤さんがいい、荒田氏が頷いた。 「もう不治の病ということではないということでしょうね。じつは私の知り合いもね…」と荒田氏は例を挙げて、それとなく私を励ましてくれた。 二人とのやり取りは歓談といえるものだった。二人が帰るときには、私はすっかりと気が晴れていた。病は気からというが、本当にそうだと実感した。
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