V 坂本さんが我が家の横に、新たに餌場と何個かの発泡スチロールで作った住まいの箱を設けた。雨露を防ぐために、三枚の厚めのボードが立て掛けられてあるおもいのほか大がかりなものだった。ゆうに十五匹くらいの猫は暮らせるだろう。猫ハウスと名付けた。猫たちも食事の後、前のように路地で遊んだりうたた寝したりして、おもいおもいに過ごしている。私も気がつけば、糞を取り去るようにして、数日は無事に過ぎたが、ある日、田中のおばあさんが我が家にやってきた。小柄で色艶のよい人だった。開口一番、「大石さん、あなたの家の横に猫の餌場があるけれど、坂本さんに作ってよいと許可したのですか」と、いささか興奮した口調でまくしたててきた。私はこういう手合いには冷静に対処したほうがよいと思い、「はい、そうです」と、できるだけゆっくり声を落として簡潔にいい頷いた。途端に、がつくりと肩を落とし、「許可してしまったのですか」とちいさな声でいった。 しかし、相手も猫の食器類を放り投げてしまうような、海千山千のおばあさんである。別のからめ手でとんでもないことをいいだした。「ここらへんには百五十年前の江戸時代から民家があり、その若い妻が亭主に浮気をしたと誤解され殺されてしまった。それ以来、このあたりに住む男に祟るようになったのです。現に以前、あなたの隣に住んでいた内田さんの旦那さんに幽霊となってしばしばあらわれ、その為、青森県の恐山までお祓いをしてもらいに行ったのです。それでも駄目で、ついには引っ越してしまいましたがね」と、いっきにまくしたてた。 私はあっけにとられたが内心可笑しくもあり、「どうして江戸時代の若い女性としつているのですか」と訊いてみた。 「内田さんが恐山の巫女に聞いてきたし、亡くなった私の亭主の夢にもでてきたのです。若くて綺麗な髪の長い女性だといつていました。だから亭主亡くなってしまったのです」といい、さらに内田さんも亡くなり、今このあたりに住む別の男の人も病気になって亡くなり、大変なことになっている、とのことだった。 「田中さんは、その幽霊を見たことがあるのですか」と問えば、「あります。ある日の真夜中、内田さんがまだ住んでいたとき、二階の窓全体が青白く光っていて、なんだろうと思ったけれど、それがそうだと思います」と、自信たっぷりにいった。 私は単にテレビの明かりだろうと思ったがそのことには反論せず、「幽霊と猫とどう関係があるのか」とまた問えば、「のらねこに餌を与えて住み着くようになると、糞で汚れて蠅が多くなったり、また草を刈ったりしないと蚊がでてきたりして駄目なのです。若い女の幽霊は、この路地を汚くしている人に祟るのです。だから大石さんも、この路地を綺麗にしなければ祟られますよ」と、最後は矛先を私に向けてきた。私は吹きだしたくなるのをぐつとこらえて、「もう少し様子をみてみましょう」ということでお引き取り願った。 さいわい妻は外出中だったので、帰ってきてから、隣の家に幽霊がでたということは伏せて、あらかたのやり取りを話した。妻は人一倍怖がりなのである。 「田中さんのご亭主の夢にでた、若い綺麗な女の幽霊ならば一度見てみたい」というと、馬鹿といわれて小突かれた。 やはり、同じ棟続きの家であるから気になった。また間が悪いことにテレビで、寝ている人を覗き込む女の幽霊がでてくる映画が放映され観たばかりだった。真夜中に目を覚ましたときなど、女の幽霊が私を覗き込んでいるのではないかと、年甲斐もなく目を開けようかどうしょうか迷ったりした。ええい、俺は男だ、と気合を入れて思いきって目を開けてみる。幽霊はいるはずもなかった。そのような夜が何日か続いた。
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