ただ、連れていくためには逃げるかもしれないので、パケットを用意したほうがいいという私のアドバイスに、親子して素直に頷き、すぐ用意してまた来ます、といって帰っていった。その後ろ姿を見送って路地裏から見えなくなると、急にどきどきとした。いまごろ我に返った、というところである。年甲斐もなくと、内心苦笑せざるをえなかった。 私もいったん家に帰ったが、そわそわと落ち着かない気持ちになった。あの親子の子猫を捕まえることに手を貸すつもりである。さいわい妻が外出中なのは好都合であった。もし家にいたら目ざとい妻のことである、私の様子にすぐ気がつくことだろう。 ときどき窓から外の様子を窺がうが、あの親子はなかなか現れなかった。今日はもう来ないのかななどと、気を揉んだりした。映画のフーテンの寅さんは、こんな気持ちかなと考えたりして、寅さんのことは笑えないなと思った。 あの親子が再び現れるのが早いか、妻が帰ってくるのが早いか、じりじりとした時が過ぎていった。別にやましいことはないのであるが、なんとなく後ろめたい気持ちになっている。それだけ心が奪われているということである。美女の力というものは、抗いたいものがあると、再び苦笑いせざるをえなかった。 そして、あの親子が真新しいパケットを持って路地裏に現れた。私はいそいそと玄関を出た。見ると、親子は先ほどの場所に立っていたが、女の子はきょろきょろとあたりを見まわしていた。 私が近づくと、「いないの」と女の子がいまにも泣きそうにしていった。どれどれと、私はこの路地裏のノラ猫の通らしく振舞った。 ノラ猫は一定のところでじっとしているということはない、じつに気まぐれなものである。そういうことに熟知している私は、少し先の草むらにゆっくりと歩いていった。案の定、子猫たちは散らばって草むらの中で座っていたり眠ったりしていた。私がゆっくりと静かに来るようにと仕草を示し、手招きをした。 女の子は声をださないという意思表示をあらわすためか、人差し指を口に当てて、抜き足差し足で私のそばにきた。なかなか利発な女の子のようである。美貌の母親も娘を真似て近づいてきたが、何をしても絵になった。
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