我々はそこを離れ境内に続く石段の下に立って、上を眺めた。頂上は見えず、あらためて急な坂道に威圧感を覚えたくらいだった。我々はゆっくりと登っていった。汗を拭うために中腹の踊り場のようなところで一息入れた。そこから少し上の右手側に古い朽ちかけた家があり、皆一様に無言のまましばし見入った。踊り場の右手側の家はさほど古いというわけではなかったが、やはり無人だった。若いときはともかく年を取ったらこのような急な坂道での生活は難しいということは容易に想像がついた。 そのとき谷藤さんが、あれっ、といって一人頂上目指して登っていった。私と鳴海は、ふうふう息を切らせながら後を追っていく。額に汗を浮かべてようやくのこと追いつき見ると、石段の頂上で碁会所の常連客である荒田氏が二十号ほどのキャンパスに絵を描いているところであった。荒田氏は王冠リーグに入っていてライバルの一人でもある。 皆は一様に、このようなところで会うとは奇遇ですなあ、といい、荒田氏の絵を見た。港に停泊している船や手前の朽ちかけた家をポイントになかなか達者な水彩画と推察した。 「このようなご趣味がお有りとは知りませんでした」と私がいうと、「荒田さんはいろいろなコンテストに入選したりしていて、大変なものものなのですよ」と谷藤さんがいう。私と鳴海は、その説明を聞いてあらためて絵に見入った。そのような目で見ると絵に不案内な私はいちにもなく合点してしまう。荒田氏は中学の校長まで務められた方と聞いていたので、退職後のライフワークをしっかりと持っていることにわが身と比べてしまい、少々羨望を覚えてしまった。 境内を見渡してみると、参拝客は少なかったが周りは桜の木々でぐるりと囲まれていて、満開の花を咲かせており、ときおり吹く風に舞う花びらが美しかった。 暖かい日差しと、急な石段を上ってきたことで汗をかき、むしょうに喉が渇いた。と、谷藤さんがカメラの機器が入っているのだろうと思っていたクーラーボックスから、缶ビールを取り出し、我々に配った。我々は一様に感嘆の声をあげ、谷藤さんの気配りに感謝しつつ、よく冷えているビールをごくごくと音をたてて飲んだ。おもわぬ花見酒であり、我々は桜を満喫することができた。 谷藤さんは荒田氏に我々がここに至った経緯を説明していた。荒田氏もビールを飲みながらさかんに頷き、興味津々といったように見受けられた。 私は境内をゆっくりと見てまわったる小さな神殿と手水所と休憩所があるだけという、いたって簡素な佇まいである。私が境内の真ん中でたたずんでいると、鳴海が笑みを浮かべて近寄ってきた。「どうしたんだいと」と私が訝しがって訊くと、「うん、二人の話によると、新撰組の生き残りである永倉新八が晩年小樽に住んでいて、この境内で孫に剣術を教えていたというのだ」といった。
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