20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:路地裏の猫と私 作者:じゅんしろう

第29回   29
 堺町通りといわれているところには、古い倉庫を利用したもの、それに似せた建物などいろいろであったが、我々はどこそこの店に入るでもなく散策を楽しみつつ、無言で歩いた。
 しばらく行くと、ここです、と谷藤さんが左側の横道を示した。道の入り口の両側は寿司屋になっていて、曲がりくねった急な坂道である。人一人歩いていない坂道を我々はゆっくりと上がっていった。
 額にうっすらと汗を浮かべたあたりで、右手に長い塀で囲まれた大きな邸宅があった。ここは昔商船経営で財をなした人の家です、と谷藤さんの説明。表札を覗くと、板谷某とある。このあたり一帯は,何らかの商売で財をなした人々の家が多かったとのことであるが、いまはその大半が札幌などの経済の中心地に引っ越したとのことである。
その邸宅を見ながら左の道に折れる。車が一台通れるくらいの道幅である。右手側は高い石垣が断続的に続いていて、その間の左右を民家が密集するように建っていた。左手側の家々の間から港が見えた。
 しばらく歩くと、ここを上ります、と谷藤さんが標識を指差した。外人坂とある。標識の説明文によれば、昔ドイツ人の材木の貿易商が住んでいたということだ。
 「一家族住んでいただけで、外人坂となるのかね」と鳴海がいうので、「通称だろう。強い印象を人々に与えれば、誰かがいいだし、それが通り名にになるものだよ」と私がいい、さらに、「鳴海もいま住んでいる家の通りも、誰かに何らかのインパクトを与えれば、鳴海通りになるかもしれんぞ」と軽口をたたいた。心の中では、鬼瓦通りになるかもな、と思っていたが。
 外人坂といってもわずかなと距離であり、その上は水天宮という神社の境内に至る百二十三段の急な石段が続いていた。 
 その右手前は大きな空き地で、広く石垣で囲われていた。一段一段が円弧を描いている黒光のする見事な造りの贅を尽くした石段があった。谷藤さんの説明によると、三十年ほど前からこの状態だという。パブル経済のころ、札幌の不動産会社の所有地になって、高層ホテルを建設しようとしたところ、水天宮の景観を守れという反対運動がおこり、そのうちにバブルが崩壊し、不動産会社も倒産してしまって、今日に至っているということだ。
 私はその石段を上がってみた。ざつと千坪はあろうかという敷地は一面雑草で覆われていて、離れたところに連がっくりの小さな倉庫がぽっんと建っていた。
 「宴の後とはこのことだな」後から上ってきた鳴海がいった。
 「うん、虚しいものだね」と、私も相槌を打つ。
 「いつまでもこういうことが繰り返されるのでしょうか」と谷藤さんがいうと、「人類が続く限りだね」と、鳴海は断定するようにいった。裁判所で人々の争いを多く見てきたであろう、鳴海の言葉には強い説得力があった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 13843