V その日は思惑どうり、よく晴れた暖かい陽気になった。前の日、そわそわしてしきりにテレビの天気予報を見るものだから、妻にまるで小学生の遠足みたいね、てるてる坊主でも吊り下げたら、とからかわれた。ライフワークを得るヒントになるかも知れない、というこの気持ちは妻には理解できないだろう、鳴海のいうとおりだと思った。無論、女性を外した理由はいってはいない。 昼過ぎ、待ち合わせ場所の南小樽駅前に着くと、すでに二人は来ていた。三人ともラフないでたちであり、申し合わせたように登山帽を被っていた。 谷藤さんは高価そうなカメラを持っていて、肩から小さなクーラーボックスを掛けていた。どういう機器が入っているのか分からないが、相当に凝っているようである。駅前には何本かの桜の木があり、満開の美しい姿を人々に現していた。我々はまず、ひとわたり桜を愛で出発することにした。 桜の木の下から道を右手にとると、すぐに海が見える小さな空き地の突き当たりに行きつく。港が一望でき、防波堤の白灯と赤灯が見えた。空き地の横は臨港線という広い自動車道に通じる急な坂道で、車は通れないようにガードが設けられている。 「何年か前、アメリカの空母インデペンスが寄港したとき、朝早くここで写真を撮ろうとして来たのですが、すでに大勢の人々でいっぱいでした。いやあ、空母は大きかったですね。防波堤の間を通ることができるのかと冷や冷やしましたよ」と谷藤さんが説明してくれた。 当時、私は小樽から車で一時間半ほどの倶知安町という羊蹄山をいただく町の高校に勤務していたのであるが、そこからも見に行った人たちが多くいたのを覚えている。 その数年後、またキティホークというアメリカ空母がきた。たまたま定年後、小樽に移り住むために、下見のつもりで私と妻は小樽に来ていた。主催者の思惑が大きく外れ、インデペンスのときと大きく違い見学者が激減しているということを聞きつけたので、二人して乗船した。甲板に立ったら、何聞かの戦闘機が展示されていて、家族連れの子供が操縦機に座ってはしゃいでいた。映画の中の戦闘機は、いかにも現在の最先端の兵器といったものである。しかし、私には存外きゃしゃな感じで、まるでプラモデルの実物大という印象を受けた。内心、こんなもので戦争をするのか、と思った。初めての寄港のとき人々は大騒ぎをして、見学者が長蛇の列を作ったが、二度目のときは、人々はすぐに飽き興味を失ったのか閑散としている。私は甲板で風にさらされながら、そら寒さを感じて早々に下船したものである。 底から左に道をとった。すぐに玄関に趣きのある彫刻がほどこされている民家があった。「小樽にはおもわぬところにこのような家々があります」と谷藤さんはいう。その民家から三本木急坂という坂道になっていた。街路灯風の立派な標識があり、傾斜は8%となっている。さほど急な坂道とは思われないが往事はどうであったのだろうかと想像をかきたてられた。我々はゆっくりと下っていった。前方にはメルヘン広場という観光スポットかあり、大勢の観光客が行き来しているのが見えた。坂の中ほどの右手になだらかな坂の路地があり、風変わりな黒い石造りの門があった。市の歴史建造物の標識があったので行ってみた。標識の説明文を読むと、明治時代の実業家が建てた家だという。門は中国式で、その横に蔦で覆われた倉庫があり、母屋は和式になっていた。アンバランスではあるが、このくらいの古さになると奇妙な落ち着きを覚えるから不思議なものである。現在も人が住んでいるということであるが、格子戸の窓の下の出っ張りに、飼い猫なのだろうか、茶色の毛の猫が一匹座っていて家の中を覗いていた。庭にはもう一匹、白と黒模様の大きな猫が寝そべっていて、その様子を見守るように見ている。なんともいわれぬのんびりとした雰囲気が漂っていた。我々は同じ思いだったとみえ、顔を見合わせて笑った。
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