W 次の日、碁会所に行くとなんとをなしにざわついていた。 谷藤さんの姿が見えないので、なじみの湯川さんに訊いてみると、八畳の次の間で日本棋院北海道本部の人と話をしているとのことだった。 「日本棋院を離れるらしいけれど、大丈夫なのかね」 「大丈夫でしょう、日本棋院所属であろうとなかろうと関係ないと思いますが」 「そうかね、ならばいいのだけれど」 「なにも日本棋院という大きな組織を離れなくてもいいのに」と、私と湯川さんのやり取りの間に岸端さんという人が口を挟んできた。 「大きかろうと小さかろうと、どちらでも良いのではないのですか」と私がいうと、「大きい方が何かと良いに決まっているでしょう」と岸端さんは断言するようにいった。 岸端さんは以前大きな会社に勤めていて、部長かなにかまで昇進していった人と聞いていたので、寄らば大樹という考え方にどっぷりと浸かった人なのだなと思ったから、それ以上反論することは止めた。 注意してまわりの様子を窺がうと、このようなやり取りをしている人たちが何組かいて、賛否両論といったところである。某氏が私に意見を求めてきたので、「小樽棋院として独立すると聞いています。良い名称だと思いますね、それで良いのではないでしょうか」と答えて、その話をうち切り、王冠戦のメンバーと碁を打ちはじめた。 碁を打ちながら、(小さくたっていいではないか、碁というものはしょせん個人技であり、どこかの組織に入っていなければならないというものではあるまい。まして谷藤さんのいうように、ここはサロンだ、そんなものは必要あるまい)と内心谷藤さんにエールを送った。そのようなことを考えながら碁を打ったために、形勢がいささか不利になったので、雑念を振り払って盤上に集中することにした。 やがて、北海道本部の人が憮然とした表情を顔に漂わせて帰っていった。谷藤さんは腹をくくっているのだろう、淡々としたものだった。それから、この場に居合わせた我々にこれまでの経緯を説明しだした。そうして結論として、「こんど日本棋院を離れて小樽棋院を作ります。当碁会所をこれまで以上に和気あいあいとした純粋に碁を楽しむ場にしたいと思います」というと某氏が、「小樽棋院にすると他に変わることがあるの」という問いに、「さほど変わることがありません。しいていえば、日本棋院のために皆さんにお願いしていた賛助金のような、余計な金が掛からないということですね」 「俺は碁さえ打てればそれでいいし、まして余計な金が掛からないなら、なお結構だ」というと、他の人たちも口々に、そうだそうだ、と賛同の声が上がって、危惧を抱いていた人たちの意見は吹き飛んでしまって態勢は決した。 私は望んでいた方向に事が運んだので満足したが、谷藤さんといえばあくまでも淡々としている。大事な物事を決める場合、人はえてしてこういうものかもしれない。 前に谷藤さんの説明にもあったが、日本棋院の関係者はなんとか思いとどめようと連日のように働き掛けてきても、彼は一度こうと決めたら、その考えを変えることはなかった。日本棋院側の徒労に終わったのだ。 私は以前見た、ジョン・ウェイン主演のアラモという映画のワンシーンを思い出した。アラモ砦にたてこもる人々に対して、スペイン軍の将軍が投降を促したが、砦の隊長が顔色ひとつ変えず、吸っていた葉巻の火で大砲をぶっ放してあくまでも戦うという意思表示をした。それを、ジョン・ウェインが戦争の仕方を知っているな、というシーンであったが、何故かそれと重ね合わさって、おおげさな比喩かもしれないが、なかなかな人だなと感心した。 だが、彼は私のように単純ではなかった。 何日か後、鳴海から電話があり、小樽棋院設立にあたって、理事長を引き受けてくれないかと打診があったが、どう思うという内容だった。聞いた瞬間、あっ、と声をあげそうになった。谷藤さんは着々と打つべき手は打っていたのである。同時に鳴海の性格からして、嫌なら即座に断っている筈である。それが私に電話を掛けてくること事態、その気になっているということであり、後は私に単に賛意を求めているに過ぎないからである。 鳴海をその気にさせたという手腕はたいしたものだと思った。私は即座に、小樽棋院の為だから受けろ、と答えた。鳴海は、分かったと一言いって電話を切った。 私は、鳴海の鬼瓦のような顔は小樽棋院の新理事長にふさわしいと思った。何故か嬉しくなって、一杯飲みたい気分になり、さっそく冷蔵庫から冷たい缶ビールを取り出し、暖房のきいた居間で飲んだ。
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