U 鳴海とのこともあって、碁会所に通うことが多くなった。 王冠戦という高段者による総当たりリーグ戦に入った。無論、鳴海も入っていて、ここで雄を決したいという思いは二人とも強い。 碁会所の席亭は谷藤さんという四十歳代の人で、棋力は私が二目置く強さである。人当たりの良い穏やかな人柄で、その為か、通ってくる人も多く市内では一番大きい碁会所である。 通ってくる人々の職業も種々雑多である。定年退職した人が多いが、七十歳代や八十歳を超えた人、かには九十歳でなお矍鑠とした人もおり、碁を打つ人は惚けないといわれている所以は本当のことかと思う。 ある日、いつものように碁会所に行くと、ほかに客は誰もおらず、谷藤さんは電話中で三十畳ほどある部屋は私と二人きりであった。 セルフサービスになっているお茶を入れ、部屋に備えられている碁の本を取り出して石を並べていると、電話中の谷藤さんはいつになくいささか興奮している様子で、時折強い口調になったりするのが聞こえてくる。 やがて電話を終えると、「大石さん、どうもすみません。すこし腹が立ったものですから」と、谷藤さんは興奮冷めやらぬという様子でいった。 「いったいどうしたのですか」 「いや、それがね…」と谷藤さんは理由を話しはじめた。 その話によると、地方の各碁会所は東京の日本棋院に所属している形態をとっている。その日本棋院が長年赤字経営で財政が非常に悪くなってきたので、地域の渋谷末端の碁会所に、例えば碁のビデオを強制的に買わせようとしたりして、そのつけを求めてきたというのである。断ると北海道本部から電話があり、財政補填は当然といわんばかりの高圧的で安易な態度に腹を立て、ついには日本棋院を脱退するというと、これだけの会員がいる碁会所が脱退するということは全国的にも例のないことだからと、今度は引き留めにかかってきたのだということだ。 「ほう、そういうことになっていたのですか」 「ええ、高がい仲の碁会所程度はどうにでもなると考えていたのでしょう」 「全国的な大きな組織は、そのような高飛車なところがありますね」と、私は教員時代の労組のことを思い出しながら相槌をうつた。 「それで、いっそのこと独立して小樽棋院というものを作ろうと考えています」 「え、小樽棋院ですか」 「だからといつて、特別な組織という訳でもないのです。実際にはただ名称が変わるだけです」 「そうですか。ふむ、小樽棋院というのは、素朴ですが良い響きだと思いますよ」 「賛成してくれますか、ありがとうございます。本当のことをいいますと、碁会所って儲かるものではないのです。いわば紳士淑女の文化サロンのようなものだと考えています、その手助けをしているに過ぎません。今後もその精神で運営していきます」と、谷藤さんは自分にいい聞かせるようにいった。普段の温厚な人柄には感じられなかった、一本芯の入ったものいいであった。人は見かけだけでは分からぬということは、多くの経験から知ってはいたが、このように毅然たる態度に接することは、とても気持ちのよいものである。それを感じるということは人間だけの特権かもしれない。私は谷藤さんの話を好感を持って聞きいっていた。
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