そこまで話したところで、鳴海は一息つき、冷めた紅茶をゆつくりと啜った。 「それでどうなったのだ」と、私は話の催促をした。鳴海はすぐには答えず、紅茶を飲み干し、おもむろにいった。 「友人が帰ってきていうには、土座衛門のはずの当人が一緒になって、地曳網を引っ張っていたというのだ」 「えーっ」と妻は驚きの声を上げた。妻は怖い話に弱いのであるが、呆気にとられたようである。紅茶のお代りをだすのも忘れていた。 「どういうことなのだよ」と、私はさらに話を促した。 「友人の話によると、男女二人で一緒に泳いでいたのであるが、気がつくと後ろにいるはずの連れの男がいなくなっていた。岸に上がってみてもみても連れの男はおらず、まわりの人に訊いて見ても、皆知らないという。しばらく待ってみたが帰ってこない。これは溺れたのではないかと騒ぎ出し、ついに地曳網騒動ということになってしまった。その当人はというと、確かに後ろで泳いでいたのであるが、偶然にもたまたま近くで泳いでいた別の男の知人に会い、どこかでお茶を飲もうということになり、そのまま横切るようにして離れた岸に上がって、一緒に近くの喫茶店まで出かけていってしばらく歓談していたのだという。帰ってみると、地曳網騒動になっていたので、訳を知らぬまま、一緒に最後尾で地曳網を引っ張っていたのだということだ」 「やれやれ、まるで落語だね」と、私も呆れてしまった。 「その男女は、その後どうなってしまったのかしら?」と妻が私を見ていった。 「どうして?」と私が問えば、「だって、そんな騒動を仕出かしてしまったら一生いわれるわよ」と妻が笑いながら答えた。なんとなく、妻にあなたにも心当たりがあるのではないの、といわれているような気がした。そのようなことがあったかなあ、と疑心暗鬼になったがとぼけることにして、「うむ、それが原因で別れてしまったかどうか興味があるところだなね」といって、鳴海に顔を向けると、うむ、と頷きつつくすりと笑い、さらに額に手を当てると顔を伏せた。 「うん、どうした?」 「いや、なにね。友人がちょうど騒ぎのなかに入っていったとき、その彼女が、あんたなにやっているのよ、といってえらい剣幕でその彼氏をひっぱたいたところに出くわしたところだという。彼氏といえば訳が分からず、ひっぱたかれた頬に手を当てて、きょとんとしていて、なんで、なんでという顔をしていたということだ。奴さん、私と同じ怖いもの見たさで地曳網を引っ張っていたのではないかと思うと可笑しくてね。まさか、その土座衛門が奴さん自身だとは夢にも思っていなかっただろうに」というと、鳴海はこらえきれなくなったのか、くすくすと声をだし、身体を細かく震わせた。 普段、厳粛なる裁判所の法廷で、威厳ある顔で判決をいい渡すであろう、鳴海からは想像もできない表情だった。 妻は顔を真っ赤にして下を向いている。 私自身、腹がよじれるような思いのなかで、鳴海の意外な一面に見入っていた。 鳴海は晩秋の夕暮れのなかを、いつもの鬼瓦の表情に戻って帰っていった。私はこれからの鳴海と碁を打つ楽しさを思うと、満たされた気持ちになった。
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