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作品名:路地裏の猫と私 作者:じゅんしろう

第16回   16
鳴海が大学生のとき同期に祝津出身の漁師の息子がおり、夏休みに一度泊りがけで遊びに来たことがあるという。鳴海は長野県の山深いところの出身だったので海に接する機会が少なく、泳ぎに来ないかという誘いにふたつ返事で乗ったということだ。
 祝津にきた夜、早速イカ漁の漁船に乗せてもらうことになった。星がまたたくだけの暗い海を沖合の魚場まででる。鳴海は雑用程度の仕事を手伝うだけだったけれど、船の周りに吊り下げられている強烈なランプの光のなかを、次々にあがってくるイカの匂いと、強い潮の香りとに、山国育ちの鳴海にとって生まれて初めての体験に少なからず興奮したということだ。やがて少しずつまわりが白みはじめ、海から太陽が昇ってきて全身に陽の光を浴びたときの感動は生涯忘れえぬものだといった。
 イカ漁から帰ってきてひと眠りをした後、漁港の隣にある小さな海水浴場に行った。鳴海と友人の知り合いの同年代の女性との四人連れである。聞けば、二人は姉妹であり、どちらもすらりとした背丈の美しい娘たちだった。友人のうちあけ話によれば、姉の方は友人を好きだというが、じつは彼の方は妹の方が好きだという、おもわぬ三角関係の話に、鳴海といえば女性には無縁な身であっただけに、羨ましいような複雑な思いにかられたということだ。友人は特別二枚目ということではないが、好漢というのにふさわしい男で、女性にはもてていたようだ。鳴海が直接係わっているというわけではないが、彼も甘酸っぱい青春の真っ只中というわけである。 祝津の海水浴場は小さい。それでもカラフルな水着で賑わい、太陽の光で輝いている。鳴海にとってはすぐ隣にいる若い娘たちの水着は眩しく、ときめきを覚えるものであり、なんともいわれぬ楽しい時間を過ごした。 海水浴の後、すぐ近くにある水族館に四人で行こうということになり、陽が少し落ちてきたので帰り仕度をしているときだった。 急にまわりがざわつき騒がしくなった。幾人かに訊いてみると、若い男性が溺れたらしいとのことだ。 そうしているうちに、漁船が出て、溺れた男を地曳網で引き上げることになった。 地曳網は左右に分かれて引っ張り上げる。海水浴に来ている人々も手伝うことになった。無論、鳴海たち四人も協力する。鳴海はいままで溺死体、つまり土座衛門なるものは見たことはない。怖いもの見たさというか、少なからず興奮した。 漁師の合図によって、網を少しづつ引っ張り上げる。網を引き寄せるほどに、どきどきしてきた。恐ろしければ、この場から離れれば済む話ではあるが、そのような気持ちにはならない。友人や姉妹をそれとなく見ると、皆真剣そのものである。鳴海も改めて真剣にならざるを得ない。助けたいのか、土座衛門を見てみたいのか自分でもよく分からない。汗をかきながら、一生懸命に網を引っ張った。やがて、ついに網が引き上げられた。だが、網のなかには土座衛門は入ってはおらず、幾種類かの小魚がぴちぴちと跳ねあがっているだけだった。 鳴海はほっとした半面、目指す土座衛門を見ることができなかったという、不謹慎ではあるが残念な思いもあった。まわりの人々の様子をうかがうと、一様に汗で顔が光っている。皆はどのような思いで網を引っ張っていたのであろうか。 何人かの漁師が網の中央で協議をして、また網を打つことになった。 と、そのときであった。鳴海たちが網を引っ張っていたもう片方の方で、わあー、という歓声が上がり、人が気が大きく揺れた。すぐに友人はそこへ飛んでいった。


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